教授、真夏の方程式で号泣す その5神戸編
鞄ひとつだけを持って神戸空港に到着した教授は、タクシーに乗った。関西には空港が多すぎるという意見もあるが、結果的に利便性の高い空港が増えるのは、利用者からすれば喜ばしいことだ、と教授は思った。三宮までは時間にしておよそ15分、おそらく3000円以内で着くはずだ。
教授はタクシーの後部座席から何度か後ろを振り向いた。追っ手はいないようだった。吉田が手荷物を探しているあいだに、こっちは手荷物をあきらめて急いで出てきたのだ。きっとうまくまいたはずだ。
教授はノートパソコンを立ちあげて、これまでの顛末を記録したファイルに吉田と遭遇したことを付け加えた。そしてサーバーにアップロードし、数週間経てば自動的にブログが更新されるようセットアップした。自分に何かが起こったときのためだ。
教授、真夏の方程式で号泣す その4再び機内編
教授は羽田空港発千歳空港行きの飛行機の中にいた。けっきょく、大宮で映画「真夏の方程式」を観ることはなかった。滞在中に原作を読み終えることができなかったからである。
飛行機が離陸したあと、教授は鞄から真夏の方程式の文庫本を取り出した。表紙を見ると、「悲しい話なんでね……」という山郎の声が蘇ってきた。本を開く前に教授は、山郎と他に何を話したのだったか思い出そうとしていた。
*
「最近、ブログのアクセスが減っているんですよ」と山郎は寂しそうに言った。教授は山郎のブログを高く評価していた。というか、ブログといえばほとんど山郎のブログしか見ていなかった。自分の生まれる前から現在までのあれだけ膨大な数の音楽を聴き、その批評を書ける人物を、教授は他に知らなかった。もちろん、内容が伴えばアクセスが増えるというわけではないことを、教授はよく理解していた。逆にその内容が高度になればなるほど、読者は選ばれてその数が減少していくほうが自然なのである。
教授、真夏の方程式で号泣す その3大宮編
エージェントとの約束までにはまだ時間があった。時間があるといっても映画を一本観ることができるほどではないし、そもそも原作の読了がまだであった。教授は駅の西口からすぐ見えるアルシェに向かった。このビルの5Fに、今回の特殊任務と関係の深い組織であるHMVの事務所があるからである。この事務所は先月移転したばかりで、その前はロフトにあったと聞いている。ロフトの事務所を閉鎖する際には、我らがリーダーも駆けつけて「移転するってYO!」と叫ぶなどして現場の士気を高めたと伝えられている。
アルシェに入ると、うわさどおりそこには我らがリーダーを中心とした幹部五人組の大きな写真が飾られ、本人たちのものと思われるサインと、おそらく下々の者に向けたと思われるメッセージが記されていた。
「私たちは埼玉推しです!」
それは公然の秘密ともいえるメッセージであり、誰もがうすうす気づいていたこととはいえ、これほど堂々と掲げられているのを見ると、埼玉県民以外の目に触れる可能性を全く考えていないのは油断といえるのではないだろうか、と教授は少し首をかしげた。視線を少し横にずらすと、今日が特別な日であることを伝える真っ赤なポスターが壁一面に貼られていた。
教授、真夏の方程式で号泣す その2機内編
教授は恐る恐る千歳空港の待合ロビー内に入った。そういえば昨年の松江行き、一昨年の松山行きの飛行機でも、かつて所属していた組織で見たことのある顔が同乗しており、危機感を募らせた。これ以上日本に潜伏するのも限界かもしれないとまで思ったほどである。地方都市行きの飛行機は便数が限られており、敵と同乗するはめになる確率が高くなる。できれば地方都市での特殊任務は避けたい、と教授は思った。
それに比べて羽田便は複数の航空会社が就航しており、便数も多くて安全だ。搭乗口付近まで慎重に歩を進めたが、ナターシャの姿はもう見かけなかった。どうやら別の便らしく、教授は再び遭遇する可能性は低いと考えて一安心した。
教授の手には「真夏の方程式」の文庫本があった。720円、これも必要経費で落ちるだろうか。報告書にただ「書籍」とだけ書けば、事務の目をごまかすことは容易だろう、というケチな考えが頭に浮かんだ。教授の活動資金はそろそろ底をつき始めていたのである。
椅子に腰掛けた教授は鞄の中からもう一冊の文庫本を取り出した。読みかけのレイモンド・チャンドラー「大いなる眠り」である。村上春樹の新訳が出て久しいが、教授が手にしているのは59年初版の双葉訳のほうであった。せっかくの読みかけだからまずこちらを片づけしまおうと思って、教授は「大いなる眠り」を先に読みだした。
教授、真夏の方程式で号泣す その1千歳編
「よりによってこのクソ暑いときに、もっとクソ暑いところへ行くはめになるとはな」と、スミルノフ教授はため息をついた。
おりしも梅雨は例年より早く明け、すでに関東地方では猛暑日が続いているというニュースが毎日のように報道されていた。思い出されるのは20年ほど前の今ごろ、今年のような連日の猛暑のさなか、前橋に行ったときのことである。教授はそのとき真夏でもめったに25℃以上にはならない釧路に住んでいたこともあり、35℃の屋外には5分と出ていることができなかった。街中は冷房の効いた店に一軒一軒入ることで涼みながら移動したものである。
教授の今回の特殊任務は、現在彼が協力している秘密組織「天使の眼差し」のエージェントと大宮で落ち合い、活動の進捗状況について情報交換することであった。奇しくもその日は、祝杯とともにリーダーへの忠誠を誓わなければならない、その組織にとって重要な意味を持つ特別な日であった。
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