2013/01/28

スミルモノノフ教授その2

スミルモノノフ教授

全国で一人もしくは二人が待っているスミルモノノフ教授の続編です。


2013/01/12

ヨウコ先生のビンタをくらったハトリ君の記憶

小学生のとき、なんかの委員会に出席した。

僕と一学年下のシイナさんという女の子が向かい合わせに座ってみんなが集まるのを待っていた。窓際に座っているのは細い目をしたヨウコ先生である。ヨウコ先生は髪が短くてスポーツが得意で、いつも緑色のジャージを着ている。きびきびした男みたいな喋り方をする先生だった。

集合時間を少し過ぎたころ、遅刻魔のハトリ君が「やべーやべー忘れてた」とへらへらしながら部屋に入ってきた。 そしていったん椅子に座ったのだけれど、となりがシイナさんだと気づくと、「オェー」といいながら立ち上がり、あわてて僕のとなりの席に移った。

そのとき、ヨウコ先生の顔がみるみるうちに真っ赤になった。

「ハトリ君、今どうして席を移ったの?」

いつもは冷静なはずのヨウコ先生が、そのときはハトリ君をにらみつけて震えていた。ハトリ君は「いや、別に」とうつむきながら何かをモゴモゴといった。 これほど怒っているヨウコ先生を見たのは僕は初めてだった。

「シイナさんの指が足りないから席を移ったの?」

ヨウコ先生の声はもう泣き声が混じって裏がえっていた。
指? シイナさんの指だって?
僕はそれまでシイナさんの指のことなんか何にも知らなかった。
普段から少しようすがおかしい子だとは思ってたけれど、彼女の指をじっくり見たことなんてなかった。

シイナさんは机に肘をついて、手の甲側に反らせた長い指に顎をちょこんとのせ、どこか遠くを見つめてぼうっとしていた。ヨウコ先生の声も全く耳に入っていないようすだった。僕はそのとき初めて、シイナさんの指が三本しかないことに気づいた。その指はとても長くて美しい、しなやかなカーブを描いてはいたけれど、数は足りていなかった。

バシーンと音がした。

ヨウコ先生が急に立ち上がってハトリ君にビンタしたのだ。ヨウコ先生の腕はまるでサイドスローのピッチャーのように水平に空を切り、その手のひらがハトリ君の左頬に見事に命中した。

ハトリ君は床に転げ落ちて真っ赤に腫れた左の頬をさすっていたけれど、笑いながら「うひょー、いってー」とか言いながら、相変わらずへらへらとしていた。

でもシイナさんはまだ肘をついていて、とてもつまらなさそうな顔で、ぼうっとハトリ君を見ていただけだった。

ヨウコ先生は必死に涙をこらえていたけれど、それでも涙はどんどん増えてビー玉ぐらいの大きさにまで膨れ上がった。涙でできたその球体はまるで凸レンズのような効果を生み出し、目が細くていつもは見えないヨウコ先生の瞳を拡大した。そのとき僕は初めてヨウコ先生のキラキラと輝く瞳を確認した。美人だ、と僕は思った。でもそれは一瞬のことで、そのあとすぐに涙が二個のビー玉となって床に落ちると、ヨウコ先生はいつもの男っぽい顔に戻っていた。僕は転がってきたそのビー玉を拾ってポケットに入れた。

委員会が終わって僕が部屋を出ると、そのあとからハトリ君もすぐ出てきた。
「いやー、いたかったー。今までで一番痛かったかもしんないな」
ハトリ君はニヤニヤしながらそう言った。むしろ喜んでいるようにさえ見えた。
「あ、ねえ、これ見て見て。ビンタされたビンタされた」
ハトリ君は誰かを見つけては自分の真っ赤に腫れたほっぺたを自慢気に見せながら歩いてた。

それから何日か過ぎ、母の運転する車に乗せられて町に行ったときのことである。交差点を曲がったところで警官が笛を吹きながら飛び出してきて母の車を止めた。

母が手動で運転席の窓を開けると警官が覗きこんできて、「いま赤信号だったでしょ。信号無視ですね」と冷たく言い放った。身に覚えの無かった母は、「そんなことはありません。私はちゃんと青なのを確認してから曲がりました」と反論した。毅然とした母の態度にちょっと怯んだ警官は、「じゃあ、黄色だったでしょ」と言った。今となってはどうしてだか思い出せないのだが、そのとき母はずいぶん虫の居所が悪かったようで、「赤じゃなかったなら黄色だとは何ごとか。そんなあやふやなことを言うのは、そっちがちゃんと見ていなかった証拠じゃないか」というふうなことを言って声を荒げた。

それからしばらく繁華街のど真ん中で母と警官の大声による応酬が続いたものだから、気がつけば周りには人垣ができていた。僕は大人のいざこざには全く関心が持てなかったので、どんどん集まってくる野次馬を車の窓から面白がって観察していた。そのとき、男の子の手を引いたまま微動だにせずに無表情でこちらを見つめる太った女の人が目に留まった。そのあまりの無表情ぶりが僕の視線を吸い込んだのである。あれほど完璧な無表情を僕はそれまで見たことがなかった。

「あっ、スミ君!」と、男の子が叫ぶのが聞こえた。女の人の顔から視線をゆっくりと移動させると、その手に引かれていたのは、にこにこしながら僕を指さしているハトリ君だった。ハトリ君はいつもと変わらぬくったくのない笑顔でこちらに近づいてきた。

「あっ、ハトリ君!」と叫び返しながら、僕は急いでハンドルを回して車の窓を開けた。
「スミ君も町に買い物にきたの?」とハトリ君は嬉しそうに言った。
「うん」なにげなくポケットに手を入れるとビー玉が二つ入っていた。「これ、ハトリ君にあげるよ」といって僕はそのビー玉を手渡した。
「うわ、すっげーきれいなビー玉だな。町のどこで売ってたの?」とハトリ君は訊いた。
「いや、拾ったんだけどさ」
「ふーん」
そのときにはもう僕もハトリ君も、ヨウコ先生やシイナさんのことは頭の片隅にさえ残っていなかった。


2013/01/09

体罰の達人アベ先生の記憶

僕の学年はアベ学級とカヲル学級の二クラスだった。

今から考えると僕はカヲル先生の相当なめんこ*だったようで、何度クラス替えがあってもいつもカヲル先生のクラスだったから、アベ先生のクラスになったことは一度もなかった。アベ先生はとても厳しいという噂だったので、クラス替えのたびに僕はいつも内心ほっとしていた。でも父兄のあいだではアベ先生のほうが圧倒的に人気があった。ユウちゃんのお母さんも、ユウちゃんはアベ先生が担任になってから見違えるように勉強するようになったって喜んでいた。

アベ先生は普段は物静かで口数も少なく、クラスの違う僕はほとんどその声を聞いたことがなかった。そしていつも、どこか悲しげな眼で遠くを見つめている、というような印象があった。

一度、アベ先生のクラスの友だちに学級通信を見せてもらったことがある。当時の先生たちはみんな学級通信を鉄筆で手書きしてガリ版で印刷していたのだ。見慣れたカヲル先生のポップな感覚の学級通信に比べて、アベ先生のそれはまるで習字の手本のようにおかたい印象だった。

「最近、髪の長い子どもが目立ちます。子どもはスターではありません」

アベ先生はヘアスタイルや服装にもとても厳しかった。とにかく規律を重んじる先生で、その点においては父兄に宛てた文面の中であっても容赦はなかった。

アベ先生はよく体罰も使った。

ある日、洗面所でとなりで手を洗っていたカメダくんの左頬に真っ赤なアベ先生の手のあとが紅葉のように残っていた。

「カメ、なにやらかしたんだよ」
「なんでもねーよ」

まるでお相撲さんの色紙みたいにみごとな手形だった。みんなそのカメのほっぺたの手形を見てクスクス笑っていたが、カメはわざと平静を装っていた。あれだけ見事な手形は隠しようがないので、カメは開き直るしかなかった。むしろ、自慢げにわざと見せびらかしているようでさえあった。

アベ先生が実際にビンタをはる場面を目撃したことも何度かあった。ものすごい音のする迫力のあるビンタで、傍目で見ていても充分恐ろしかった。だけどビンタをするときでもアベ先生の眼は、怒りに燃えた眼ではなくて、あのいつもの悲しげに遠くを見つめる眼のままだった。僕はそれがよけいに恐ろしかったことをよく覚えている。

全校集会で体育館へ集まるためにみんなで廊下に並んでいたときのことだ。僕たちは退屈だったので、ついこないだ結成したばかりのリトルリーグチーム、ジャガースの、円陣のときの掛け声をみんなで考えていた。

「やっぱり、こないだの一番オーソドックスなやつに決めようぜ」
「ちょっとやってみるか」

僕らは廊下で円陣をくんだ。

「ジャガース! ファイト!」
「オー!」
「ファイト!」
「オー!」
「ファイト!」
「オー!」

大声を出すことの開放感と、みんなとの一体感。
そして叫び終わったあとのものすごい達成感に恍惚としていた。

ところがそのとき、遠くの方からからアベ先生が、その辺の子どもたちを乱暴にかき分けるようにして、ものすごい大股で歩きながら僕らに近づいてくるのが見えた。

しまった! やられる!

でももう遅かった。

「そういうことは、外でやれっ!」

アベ先生の怒号が聞こえるや否や、僕の目の前は一瞬真っ暗になり、そのあと閃光が走った。

「痛てて」と頭を抱えてうずくまると、僕のすぐとなりにいたケンちゃんも、僕とまったく同じかっこうをしてうずくまっていた。

恐る恐る顔を上げてまわりを見わたすと、そこら辺の男子を二人一組に捕まえては、それぞれの頭を片手ずつ掴んで、頭同士をガツンとぶつける、それを次々と続けるアベ先生の姿が見えた。まるで児童の集団に乱入した殺人鬼のようだった。その周囲には僕らと同じようにガツンとやられた男子が大勢うずくまっていた。誰もアベ先生から逃げられなかった。

「いやあ、痛かったなあ」あまりの痛さに僕の目には涙がにじんでいた。
「おまえなんかいいさ、一回だけだろ」と、以前からアベ先生に目をつけられているベンちゃんがいった。
「え? おまえ二回もやられたの?」
「おう、最後にひとり余ってな。俺らの人数が奇数だったんだな、ちくしょう。おまえちょっと来いっていわれて、その最後のやつともう一回ゴツンさ」

僕は涙を浮かべながら少し笑った。手で頭を触ると立派なコブができていて、押すとやっぱり痛かった。それが僕がアベ先生からもらった最初で最後の体罰だった。

それからしばらくして、クラス会といって各クラスでおやつとかを食べながらみんなで出し物をやったりする会があったのだけれど、となりのクラスでカメがすごい出し物をやったといううわさでもちきりになった。それで僕はカメに会ったときに、
「ねえねえ、何をやったの?」と聞いたら、
「ただの替え歌だよ」と答えた。
「なんの替え歌?」
「妖怪人間のベム、ベラ、ベロのところを、オーヤマ、マツダ、タナカに替えたんだ」それは知的障害で特殊学級にいる子たちの名前だった。「早く人間になりたい〜、ってさ」

僕は少しびっくりした。

「そんなことやってアベ先生に怒られなかったの?」
「いや、にこにこしながら聞いてたよ」

当時の僕は、周囲の子どもに比べればかなり大人びたほうだと自負していた。けれども、この話を聞いたときには、大人が子どもを叱るときの、その判断基準というものが完全に分からなくなって混乱してしまった。無邪気に騒ぐことが頭を割られるほどの悪いことなのに、残酷で差別的な行為(これも子どもらしいといえばそうなのだが)はお咎めを受けない。これが大人の常識とするならば、僕は大人を理解できない。そうだとすれば、僕はとりあえず、たとえそれが理不尽に思えようとも、おとなしく従っていくしかないな、大人になるまでは、と考えた。今思い出すと、そんな考え方をすること自体がやっぱり子どもらしくない、卑怯な子どもだったな、僕は。

*めんこ:贔屓にされている子の意。


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