ブレックファスト・イン・アメリカの記憶
■ Supertramp - Breakfast In America
コロンバスにみんなで泊まったとき、ひとりでアメリカ人らしい朝食をとりたくなった。 僕は自分がアメリカ人ぶっているところをスティーブやペンタラスに見られたくなかったので、別のもっと高級そうなホテルのよさげなカフェを探して、そこでひとりでアメリカ人らしい朝食をとることにした――アメリカ人らしい朝食では、ジュースは何にするかとか玉子をどう焼くかとかどんなパンにするかとか、そういうことをいろいろ訊かれるのだ。
――もちろん英語でだ。
――こちらもそれに流暢な英語で即座に応答する。
――実にアメリカ人らしく。
たしかそのとき僕はオレンジジュース、スクランブルエッグとワッフルを頼んだと思う、
と、昨日だったかカミさんに話したら、びっくりした様子で「それ初めて聞いたわ」といわれた。
そう、僕も初めて話したと思った。
けど、どうして今まで話してなかったんだろう。
別に隠すことでもないのに。
おそらく、とりたてて話すようなことでもないし、たまたまそれを話すきっかけや機会に恵まれてこなかった、というだけのことなのだろう。
しかしもしかすると、
それは本当は本当に無かったことで、
つまり僕の思いこみに過ぎず、
極端にいえば1分前に思いついたことで、
それを僕が自分の古い記憶だと勘違いしているのかもしれない、
とか考え出したら、
なんだかわけが分からなくなってきたよ……。
*
Take a jumbo across the water
Like to see America
「お前のはじめてできた彼女、背高いね」「うん、てゆーかジャンボ」っていう空耳まがいの歌詞を妄想した。実際にはジャンボに乗ってアメリカに行きたいって意味だった。
てゆーか、このパートの空耳としては、すでに「タケチャンマン、遊ぼうよ」というのが圧倒的に有名だってことをついさっき知った。
*
僕が帰国してから何年か経ったあと、職場のボスだった人が日本に来て、いっしょにペンションに泊まったことがあった。朝食を食べに食堂に行ったとき、ごはんと味噌汁のにおいがほわんと漂ってきて、しまったと思った。無理を言って急遽洋風の朝食を用意してもらった。
ボスの目の前に運ばれてきたのは、トーストとコーヒーと目玉焼きと大量の野菜サラダだった。僕はまたしまったと思ったけれど、もういいやと諦めた。ボスは野菜サラダには全く手をつけなかった。
「やっぱり朝はサラダを食べないんですね。どうしてですかね?」
「どうしてですかねって言われてもなあ。食べないものは食べないんだから」
「でもフルーツは食べますよね」
「うん、フルーツは食べるけどアメリカ人は朝から野菜サラダは食べないね。イギリス人なら食べるかもしれないよ。いや、よく知らんけど……」
*
Could we have kippers for breakfast
Mummy dear, Mummy dear
kippers とはニシンの燻製みたいな魚料理だ。kippers for breakfast というのは慣用句みたいなもので、イギリス人の朝食を象徴している。そしてたぶん(すべての、とまではいわないけれど)普通のアメリカ人は kippers を朝食に食べることはない。そんなことも知らないイギリス人の歌なのだ。Breakfast In America という題名の曲なのだから、唯一 breakfast について語られるこの部分はとても重要であるはずだ。それなのに語られるのは実はアメリカの朝食ではなくイギリスの朝食なんである。ここにアメリカを夢見てアメリカを知らないイギリスの田舎の若者、というイメージが凝縮されている。
ちなみに、そのあとに続く「もみでゃーもみでゃー(Mummy dear, Mummy dear)」というところは、通常は「愛する母さん」などと訳されるんだけれども、「ニシンの燻製」のあとにすぐ引き続いていることから、Mummy は「母」ではなくて「ミイラ」を連想させる、そういう意図をもってこの曲は作詞されている。
朝はニシンの燻製食べたいな♪
ミイラちゃん、ミイラちゃん♪
つまり、イギリス人は母さんのことを Mummy と呼ぶのだけれど、アメリカでは Mommy じゃん、Mummy ならミイラじゃん、ぷぷっていう、やっぱり、そんなことも知らないイギリス人の歌であったのだ。なんて自虐的な歌……。ミイラちゃん、ミイラちゃん〜♪
4年ぶりの快挙!
みなさん、こんにちは。
つまんないとか、分からないとか、興味ないとか、そもそも見てないとか、まだやってたのとか、いろいろ言われながらも(あるいはガン無視されながらも)、なんと今月のエントリー数が二桁の大台にのりました!
ひと月のエントリー数が二桁に達したのは、2008年の3月、1月がそうですけど、これはずいぶん後からエントリーを追加したのでそうなっているのであり、純粋に二桁といえるのは2007年の12月以来のことです。
つまり、なんと4年ぶりの快挙!
これぞ、線香花火が消える前の一瞬の輝き、といえるのではないでしょうか。いや、いえないのかな?それはほんとうに消える瞬間が来ないと分からないですよね。
ではまた。(なんか昔っぽい)
フォクシーの記憶
これは、ブロンコの記憶の続編である……。
昼休みになった。
「ちょっと変わった日本のロックがあるんだけど、聞くかい?」 僕はきのう日本の友だちから届いたばかりのカセットテープを見せながら、スティーブにそう言った。
「ちょっと変わっただって? どう変わってるんだ?」
「聞けば分かるさ」と僕は言って、カセットテープをラジカセにセットして再生ボタンを押した。王様の「キツネっぽい女」という曲だった。
スティーブはしばらく直立不動で下顎を触りながら、眉間に皺を寄せて聞いていた。音楽を聞くというよりは、なにかの動物の鳴き声を聞き当てようとしているような顔だった。
「あれ? これジミー・ヘンドリックスのフォクシー・レディーじゃないか?」
正解だった。でも僕は、スティーブをもってしても、正解までにこれほど時間が必要だったことに少しがっかりした。
「それにしても下手な歌だ。あんまり下手なんでなかなか分からなかったよ。彼はこれでもプロなのかい?」
スティーブはまだ眉をひそめたままで怒ったように言った。そこで僕は、まるで種明かしをするみたいに説明し始めたんだ。
「いいかいスティーブ、彼は有名なロック曲を日本語に直訳して歌ってるんだ」
「日本語に直訳ね、なるほど。それで?」
「すると日本語に直訳することで生じる滑稽さみたいなものが生じるんだ。たとえば、foxyっていうのは、いい女だってことだろ?」
「ま、そうだな。セクシーな女ってことだ」
「ところが日本語にはfoxyに直接相当し、かつ、そういう意味である言葉が存在しないんだ。だから彼はfoxyではなく、like a foxを日本語に直訳して歌ってるんだ」
「なるほど! それはなかなかおもしろいかもしれない。おーい、みんな、ちょっと集まってくれ」
スティーブは職場の人間たちをラジカセの前に集めて説明し始めた。
「いいか、みんな聞いてくれ。これはジミー・ヘンドリックスのフォクシー・レディーを日本のミュージシャンが日本語に直訳して歌ってるんだそうだ。ところが日本語にはfoxyに直接相当する言葉が存在しない。だから彼は、like a foxを日本語に直訳して歌ってるんだ。はっはっは」
みんなは眉をひそめたまま黙って曲を聞いていた。スティーブの作り笑いが部屋に虚しく響いた。
「それにしても、ひどい歌だなあ」誰かがぼそっと言った。
「おい、めしめし。めし食いに行くぞ」とペンタラスがスティーブの肩をたたいた。
二人は部屋を出ていった。 他のみんなもぞろぞろと二人に続いた。
部屋の中は僕ひとりだけになった。
みんなは僕が日本食の弁当持参なのを知っているので、誰も僕を昼飯に誘わない。
僕はこうしていつもひとりだけになった部屋でひっそりと弁当を食べる。
弁当のふたを開けると、あいつらが嫌がるごはんの臭いが部屋に充満した。
王様のメドレーはすでに「キツネっぽい女」が終わって、次の曲が僕のためだけにまだ鳴り続けていた。次の曲がなんだったのかはよく覚えていない。
ブレックファスト・イン・アメリカの記憶へ続く……
- 教授御尊顔
- @suemewebさんをフォロー
- サイト内検索
- Googleサイト内検索
-
- 懐コンテンツ
- 喉頭鏡素振りのススメ
- カテゴリ一覧
- 過去ログ
-
- 2022年
- 2021年
- 2020年
- 2019年
- 2018年
- 2017年
- 2016年
- 2015年
- 2014年
- 2013年
- 2012年
- 2011年
- 2010年
- 2009年
- 2008年
- 2007年
- 2006年
- 2005年
- 2004年
- 2003年
- 2002年
- 2001年
- 2000年
- 1995年
- mobile
-
- PR