無茶比喩シフォンケーキ ――村上春樹の比喩コラージュ
今すぐ空腹の欠落を埋めなくてはならない。それは身体の向こう側まで透けて見えるんじゃないかという気がするくらい激しい空腹感だった。そしてそれは欠落感の一種というよりも、錐で刺されたり、縄で締め上げられたりするのと同じような、純粋な肉体の痛みに近いものだった。
死体安置所のように清潔なダイニングには一昔前のポーランド映画みたいなうす暗い光が差し込んでいた。朝から何ひとつ食べずに働き通した僕は、まるで甲殻動物が季節のかわりめに殻を抜けだすような格好で帽子とコートと手袋をひとつひとつ慎重に脱ぎ、食卓テーブルの前の椅子に座った。そして目を閉じて、ぬめぬめとした内臓が食べ物を要求して身をくねらせる音を聞いた。
「実を言うとね、私には食欲というものがよく理解できないの」、女はすごく難しい顔をしてそううちあけた。
「食欲というものは理解するものじゃない」と僕はいつもの穏当な意見を述べた。「それはただそこにあるものなんだ」
そう言うと、女はなにか特別な動力で作動する機械でも見るみたいに、しばらく僕の顔を検分していた。
「今日は特別な料理を用意しているのよ」と女は言った。それはまるで安定の悪いテーブルに薄いグラスをそっと載せるようなしゃべり方だった。なんだかこれから手品でも始まるみたいな雰囲気だった。
女はまるで傷つきやすい動物を扱うみたいに大事そうに小皿をテーブルの上に置いた。その小皿の上にあるのがシフォンケーキそのものであることを僕はしばらく認識することができなかった。それは飾りのないシンプルな、生きているのか死んでいるのかわからない意識を失った白いシフォンケーキだった。
どちらかというと僕はシフォンケーキが好きではない。シフォンケーキがこの世界から半永久的に失われたとしても、ちっともかまわないぐらいだ。たらことバターのスパゲティーでもなく、ロースト・ビーフのサンドイッチでもなく、ましてやアンチョビのピザでもなく、どうしてそれがシフォンケーキでなければいけないのだろう。
僕はカーディガンのボタンを掛け違えたみたいに現実との接点を見失い、自分ががらんとした空き家になったような気がした。
中年の男とシフォンケーキ。奇妙なとりあわせだった。羽根枕と氷かきとか、インクびんとレタスとかいったくらいに奇妙なとりあわせだった。シフォンケーキはまるで間違った場所に置き去りにされた荷物のようにさえ見えた。
そして僕の空腹感は、「ガリヴァー旅行記」に出てくる空に浮かんだ島みたいに、テーブルの上空にしばらくのあいだ虚しく漂っていた。僕とシフォンケーキは「男とシフォンケーキ」という題の静物画みたいにそこに静かにとどまっていた。
しだいに心臓が音を立て、女に対する怒りが僕の血液にアドレナリンを供給した。柔らかな万力で締め上げられみたいに頭が鋭く痛んだ。
*
「ちょっと待ってくれないか。いったい君は誰なの?」
「私はあなたのブログの読者よ」
「ひとつ質問してもいいかな。僕は夕飯を食べに帰ってきたんだ。それなのにどうしていきなりシフォンケーキを食べなくちゃならないんだろう」
「私はくだらないスイーツブログを終わらせるために現れたの。スイーツブログといいながらスイーツと関係のない冗長な話ばかりだし、致命的なのは肝心の味が全く表現されていないことよ。コメント欄でも長文なのに味に関しては『しっとり』としか書いてないって批判されていたけれど、私も当然だと思うわ」
「味の表現だって? 僕はね、そもそも最初から味を表現する気なんかないんだ。だいたい君は人間の世界に味というものが何種類あるのか知っているのかい? 塩味、酸味、苦味、甘味、うま味、人間の舌にはこの5種類の受容体しかない。つまり味なんていうものはだね、塩っぱい、酸っぱい、苦い、甘い、うまい、この5種類の言葉の組み合わせでしか表現できないんだよ。スイーツに限れば、甘いとうまいの2種類しかない。つまり『甘くてうまい』以外にスイーツの味表現なんてないんだ。だからこそ僕は、味に関すること以外の、もっと奥深い話をしているってわけさ」
「味がその5種類しかないっていうのは間違っているわ。辛味とか渋味、それにコクとかキレっていうのもあるじゃない」
「君は味覚のことをよく知らないようだね。辛味と渋味は味覚神経ではなくて三叉神経を介して伝わってくる触覚の一部だ。コクだのキレだのに至っては情報が大脳皮質で統合されたあとの話だから、概念自体が曖昧で定義のしようがない。いいかい、僕は大脳皮質以降の話はしたくないんだ。だって味というものは大脳皮質に到達する前にほとんどその分析は終わっているんだもの。その証拠に赤ちゃんだって、苦ければ顔をしかめ、酸っぱければ口をすぼめ、甘けりゃ幸せそうな顔をする」
「でもあなたは言葉の分からない赤ちゃんのためにスイーツブログをやっているわけじゃないでしょう。私は情報が大脳皮質で統合された後こそ大事だと思うわ。統合された味覚情報は、扁桃体や眼窩前頭皮質にも送られ、温度、食感、匂い、視覚といった他の感覚、さらにはその人が過去に体験した記憶などとも照らし合わされ、その結果として最終的な情動が起きるのよ。だから味の表現には5つの基本味にこだわらない言葉こそが駆使されるべきよ」
「味に関して言葉を駆使できている人間なんて、グルメ番組のタレントにはもちろんのこと、料理評論家と自称する輩にだって見当たらないね。あいつらは食い物を口に入れたあと、訳知り顔で眉間に皺を寄せてうなづくか、目を見開いて『んー』とか叫んだりするだけだ。やっと何か喋ったと思ったら、とろけるだのジューシーだの食感に関することばかりだし、シャキシャキだのシコシコだの擬音語ばかり使う」
「そんなことはないわ。こないだ料理番組に出ていた芦田愛菜ちゃんでさえ、ちゃんと『オレンジのような酸味を感じる』って言ってたもの。6才児にできてどうしてあなたにできないの」
「オレンジのような酸味ってそのままじゃないか。どこが言葉の駆使なんだよ。あのね、言葉による味の複雑な表現なんて元から不可能なことなんだよ。いや、そもそも味を言葉で表現する必要なんかないんだ。いちいち君の言うとおりにしていたら、味覚の根本命題どころか、言葉の根本的な問題につきあたってしまうよ。例えば僕の甘いと君の甘いは同じなのだろうか、なんてね」
「たしかに私の甘いとあなたの甘いが同じかどうかなんて永遠に分からないわ。私はあなたになれないし、あなたは私になれないもの。だけど、人は同じ体験を共有することによって、相手がどう感じるかを予想することができる。好きな人が自分のことを好いてくれれば誰だって嬉しいし、大事な人が死んだときは誰だって悲しい。その予想はたぶん、かなり当たっているといえるんじゃないかしら」
「だけど、人はみんな同じ体験をしているわけじゃないし、感じ方だって人それぞれだ。どれだけ言葉を尽くしてみても、味を誰かに伝えることはできないし、自分自身にさえ伝えることはできないかもしれない」
「そう、正確には伝わらないかもしれない。でも、何も伝わらないより、ましじゃない? だってスイーツブログなんでしょ? スイーツの何かを伝えなくては意味がないわ。だから、あなたがそのスイーツを食べたときの情動を過去の体験に照らし合わせて、あなたなりに物や出来事に例える、つまり『比喩』を駆使することによって、あなたの情動を伝えることが可能だと私は思うわ。もしも伝わり方があなたの思ったとおりじゃなくたって、それはそれで面白いんじゃないかしら」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。よくわからないな。でも要するに君の言いたいことは、味の表現にもっと比喩を使えってことなんだね。それを先に言ってくれよ。お望みどおり比喩をじゃんじゃん使ってやるよ」
「ちょっと待って。比喩は慎重に使われなければならないわ。特に『突飛な比喩』を使うのは危険よ。それを使いこなせるのは世界的な文学者だけだわ。あなたみたいな素人が『突飛な比喩』を使ったところで滑稽になるだけだもの」
「だいじょうぶ。比喩なら得意なんです。なにせ僕には世界的な文学者が使った比喩のデータベースがあるです。任せておきなさい。僕には自信があるです」
*
やれやれ。
僕はシフォンケーキが夕食だと思い込むことにした。それはなんだか勃起しないペニスを勃起させようとする努力に似ている気がした。
僕は仕方なく体じゅうの筋肉だか神経だかが軋んだような音を立てながらフォークを手にした。僕は「オズの魔法使い」に出てくる錆びついて油の切れたブリキ人間みたいだった。
僕はフォークの先をシフォンケーキに突きさした。フォークはまるで僕の眼球に突きささるようにシフォンケーキにやわらかく音もなく食いこんだ。
「下の方までずっと柔らかいのよ。まるであたためたバター・クリームみたいにね」と女は言った。
たしかにアルデンテというには心もち柔らかくなりすぎていたが、致命的なほどではない。陶器のようにつるりとした白いクリームの中から、妙に現実感のない鮮やかな色あいのスポンジが顔を出す。
僕は空腹の苦痛をなだめるために、フォークに刺したシフォンケーキの一切れをとりあえず口に入れた。食感は恋人の手のように親密でもなかったし、医者の手のように機械的でもなかった。飲み込むと、まるで喉にひっかかった魚の小骨のような居心地悪さだった。僕は間違って不適当なものを飲み込んでしまったときのような奇妙な表情を顔に浮かべる。
だが次の瞬間、晩年のベン・ウェブスターのテナートーンを思わせる、かすれたエアブレーキのような声で僕は「うまい」と唸ってしまった。それはまるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声のようでもあった。それは自分の声には聞こえなかった。それに僕はそんなことを口にするつもりもなかったのだ。その声は僕の意志とは無関係に、自然にどこかから出てきた。でもそれは僕の声だった。
エスプレッソも手のひらにとることができそうなくらいしっかりとして丸みがあり、芸術的といってもいいくらい淡麗な説得力のある味だった。それは慰めとか励ましとかじゃなくて、まっすぐで力強い事実だった。モルダウ河みたいに。
それはまるでやわらかな太陽の光のように、窓からゆっくりと僕の心の中に舞い降りてきた味。
思いだそうとして長いあいだ思い出せなかったような味。
神秘的といってもいいくらいに特殊な味。
何かしら人の気持ちを落ち着かなくさせる味。
どこからか吹きこんでくる強いつむじ風のように僕を揺さぶる味。
世界中の細かい雨が世界中の芝生に振っているような味。
肺炎をこじらせた犬のため息のような味。
やがて僕の怒りは水の流れにさらわれていく砂のように、少しずつその密度と重さをなくしていった。もう僕の眼鏡の奥にある目は、限定された動きだけをもとめる深海の捕食生物のように、皿の上のケーキを探っていた。
女はまるで珍しい動物の入っている檻でものぞきこむような目つきで僕をじっと眺めた。
「男の人っていつもケーキのことを考えながらしているの?」
「そうだね。まあ株式相場とか動詞の活用とかスエズ運河のことを考えながらする男はいないだろうね。だいたいはケーキのことを考えながらやっているんじゃないかな」と僕は答えた。
僕がシフォンケーキを食べ終わると、何千人もの老人があつまってみんなで歯のすきまからシフォンケーキのクリームを吸い込んでいるような奇妙なざわめきがあたりに充ちた。
いつの間にか女は姿を消していた。僕の胃の底のあたりには糸屑のかたまりようなものが沈んでいるだけで、空腹が満たされたわけではなかったのに、「武器よさらば」とは違って、食欲なんてまるで湧いてこなかった。そしてそのうちにふと、食欲が湧いてこないのは、あるいは僕の中にブログ的リアリティーのようなものが欠如しているからではないかと思った。自分自身がまずく書かれたVNIになったような気がした。
僕は眼を閉じて眠ろうとした。でも本当に眠ることができたのはずっとあとになってからだ。次に目覚めたとき、僕はもうスイーツについて語ることはないだろう。そのとき僕は新しい世界の一部となっているはずだから。
*
「今ひとつの出来だ。もっと笑えるものになると思ったんだけどな。漱石でやったとき(硝子戸の中)はまだ充実感があったんだけど、今は何もない」
「あなたのせいじゃない。あなたは悪くなんかないのよ、精いっぱいやったじゃない」
「違う、違うんだ。僕は何ひとつ出来なかった。でも、やろうと思えばできたんだ」
「人にできることはとても限られたことなのよ」
「そうかもしれない。でも何ひとつ終わっちゃいない。いつまでもきっと同じなんだ」
「終わったのよ、何もかも。言ったじゃない、私はスイーツブログを終わらせるために来たのよ」
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