ロンドン行き最終列車 9-29の謎
9月21日はEW&Fの名曲「セプテンバー」の日(Do you remember the 21st night of September)です。それでは今日、9月29日は何の日でしょう?
9月29日、先生は勝手にELOの名曲「ロンドン行き最終列車」の日と決めています。
■ ELO (Electric Light Orchestra) - Last Train To London
日本でも佐藤竹善さんやMAXがカヴァーしている有名曲です。
It was 9-29, 9-29 back street big city. The sun was going down, there was music all around It felt so right.
もちろん9-29は9月29日ではありません。それはたぶん9時29分で、大都市の9丁目29番地です。ジェフ・リンはレコーディングのためにバーミンガムからロンドンに通う列車の中でこの曲を思いついたといいます。big cityってバーミンガムのことなんでしょうか? バーミンガム発のロンドン行き列車ってそんな早い時間で終わっちゃうんでしょうか。
先生はアホだからヴァージン鉄道の時刻表まで見ました。もちろん今の時代、夜の9時29分が最後っちゅうこちゃありません。最終列車は夜11時過ぎです。でもひょっとしたら、この曲が書かれた1979年頃は、9時29分だったのかもしれません。調べようがありませんが。
でも、もしそうだとしても、9丁目29番地ってどこでしょう。すなわち先生は、この曲の冒頭からいきなり2回も繰り返される、「9-29」という数字には、何か意味が隠されているような気がしてならないのです。この問題については、海外サイトを調べ回ってもなかなか解決できません。
そこで先生からオ・ネ・ガ・イです。「9-29」とはほんとうのところ何を意味しているのでしょうか。ご存知の方がいたらぜひご教授ください。また、ジェフ・リンの知り合いの方がいらっしゃったら、ぜひともこの件について聞いていただきたく存じます。(追記:3分05秒あたりで聞こえるLast train to Londonという声は本当の駅のアナウンスなんだっけ?)
ところで先生は、この曲のサビで、「Last train to London ♪」が繰り返されるところ、「ダウンタウンへくりだそう♪」というコーラスが空耳で聞こえてきます。シュガーベイブのダウンタウンは75年なので、ロンドン行き最終列車の4年も前の曲です。まさかジェフ・リンは、どこかでダウンタウンを聞いてインスパイアされ、だから東洋的なメロディでアレンジした…なんてことは間違ってもないですね。
以前こんなアニメーションののPVがあったのだけれど、big cityを走り抜ける列車がロンドン行き最終列車に思えました。
さよなら超整理手帳
先生は昨年末をもって長年愛用してきた超整理手帳を使うのをやめ、今年はほぼ日手帳を使っています。さよなら超整理手帳という題名ですが、さよならしてから早十ヶ月が経とうとしています。どうして先生が超整理手帳を使わなくなったのか、それを書きましょう書きましょうと思っていながら時は流れ、ついに来年の手帳が発売されるシーズンを迎えてしまいました。そこで一念発起してついに書くことにいたしましょう。
ごらんのように超整理手帳はスリムな縦長で、上着の内ポケットにもすんなり入ります。多忙な人が携帯するのに超適した手帳です。
話が少し飛びますが、先生が生まれて初めて買った新書は梅棹忠夫氏の知的生産の技術(岩波新書, 1967)です。それ以降、学生のときの勉強の仕方や社会人になってからの資料の扱い方に、先生は基本的な部分では梅棹氏の影響を受けていたと思います。ところが、ちょうど先生が研究や執筆活動を始めたころ、それにともなう大量の資料や文献の整理に追いつけず悩み始めたとき、野口悠紀雄氏の「超」整理法(中公新書, 1993)に出会ったのです。それから先生は、まず第一に時間軸を念頭において物事を整理していくという野口氏の考え方に助けられ、多忙な毎日を乗り切っていくことができました。
その野口氏発案の超整理手帳はジャバラのように広げれば8週間分のスケジュールが一目瞭然です。つまり裏表で1枚が16週間分となります。これが4枚で1年分となる仕組みですが、多忙な男は1年分すべてを常に持ち歩くなんてヤボなことはしません。手帳が分厚くなってかっこ悪いだけです。多忙な男にとって、緻密なスケジュールは数カ月、せいぜい4ヶ月程度あれば充分なのです。それより先の話なんて、どっか余白にでもちょこっと書いとけばよろしい。
先生が超整理手帳の一番よいところだと思うのは、A4サイズの書類が収納できるところです。4つに折りたたむとぴったり収まり、すぐに広げて見ることができます。こうして多忙な男は、その日に必要な資料だけを持ち歩くことができます。多忙な男は余計なモノを持ち歩かないのです。
先生が最も多忙だったころの年末の超整理手帳です。世界的に有名になってしまったおかげで超多忙を極め、何度も東京を往復し、新年を東京で迎えるはめになってしまいました。多忙なので書き込む内容はスケジュールが中心となります。ToDoリストは先生の場合は上の余白に書いていました。
この頃の先生は本当に多忙で、ただ目の前に現れることを見極めるだけで精一杯でした。あまりに忙しいので、数カ月、せいぜい4ヶ月ぐらい先のことまでしか考えられませんでした。ですから、そのときに必要なスケジュール、そのときに必要な資料だけを持ち歩ける超整理手帳はたいへん重宝したものです。
超整理手帳を使う超多忙な男は、まるで4ヶ月ぐらいの波に乗りながらひたすら前進するサーファーのようなものです。
ところが、みなさんご存知のように、先生の身の回りに異変が生じました。あまり有名になりすぎて身の危険を感じた先生は、表舞台から消えざるをえませんでした。そうして今は、ごく普通の庶民にまぎれて目立たないように暮らしています。
特にどきどきすることもなく、毎日同じことを繰り返す、ごくごく普通の生活です。そうすると、手帳にスケジュールを書き込む必要もなくなります。毎日のスケジュールがただ「出勤」だけの手帳、それでは手帳の存在意義が危うくなります。
人間、暇になってスケジュールがなくなるとどうなるか。おもしろいことに、書く予定がないもんですから、気のついたことを何でも書くようになるんですね。その日見聞きしたこと、食べたもの、なんでも記録するようになっていきました。
先生の手帳は、スケジュール管理帳から、日記帳へと変貌をとげたのです。しかも、ごらんのように仕事が暇になればなるほど書くことが多くなり、超整理手帳では手ぜまになってきました。
また、多忙な男はけっして過去を振り返りませんが、心のさびしい暇人間はとかく昔が恋しいものです。去年の今日って何してたっけなーとか思っちゃたりしがちです。そこで昔の手帳を出してきてぺらぺらめくろうとするのですが、
超整理手帳は過去を振り返るのに向いてません。一応バインダーでとじているのですが、ジャバラがバランバランして見づらいったらありゃしません。ああん、もう、いらいらする。
そこで先生は今年からほぼ日手帳を使っているわけです。別に分厚い手帳であればほぼ日手帳である必要はないかもしれません。
先生はもう、4ヶ月の波に乗って猛進するサーファーではありません。サーフボードから落ちてしまって、大海原をあてもなく漂流しているのです。でもしばらく漂流していますと、ボードの上からは気付かなかった、太陽光線の変化や、海鳥の鳴き声が気になるようになってきました。だから、月の満ち欠けとか有名人の格言とか、余計なことがたくさん書いてあるほぼ日手帳の雰囲気は、この漂流している先生のイメージに似合っているような気もしないではありません。
野球部物語
少し前に暇つぶしにやっていたウェブゲームです。あまりおもしろくありません。おすすめもしません。
でも、そんなつまらないものでも、長く続けるとドラマは生まれるものです。
どこがおもしろくないかというと、こうして、ただひたすら打つだけというところです。投げる、受ける、守る、そして走るという要素は全く関係ありません。ただ打つだけです。相手の攻撃は実況でその様子が伝えられるだけです。攻めこまれて満塁になっても指をくわえて見ているしかありません。選手のオーダーを見ても、誰が投手なんだか野手なんだか全く分かりません。
選手の姿の描き分けもありませんし、名前も宮口とか市川とか、二文字の漢字を適当に組み合わせた苗字しか出てこないので、選手への感情移入も難しいです。感情移入できたとしても、高校野球なので選手たちは3年で卒業してしまいます。そしてまた黒坂とか石川とか、適当な苗字の1年生が新たに入学してくる、そういったむなしくてせつない繰り返しが延々と続くのです。
唯一楽しい部分があるとすれば、それは選手を鍛える試合前のバッティング練習です。バッティング練習を続けることによって、選手の「力」と「技」の数値がアップします。たぶん「力」は長打力に、そして「技」は打率に反映されるのだと思います。S、A、Bといったアルファベットは、おそらく練習の成果の現れやすさを意味しています。
バッティング練習は、空振りでも見逃しでも、一度ストライクを取られるとそこで終了です。バッティングピッチャーは、おおよそ7、8球目ぐらいまではストライクを投げ続けてくれるので、気楽にバットを振っていれば球に当たりますが、そのあとは選球に神経を使い続けなければならないので、相当な集中力が求められます。バッティング練習が10球程度で終わってしまえば、その選手の能力は1ぐらいしかアップしません。
そんなつまらないものでも、長く続けるとドラマは生まれるものです。
ある日私は、松林という潜在能力SSのすばらしい逸材に出会いました。松林の才能に目をつけた私は、1年生のときから重点的に鍛えあげ、彼を中心としたチーム作りに励みました。3年になる頃、松林は「力75」「技99」という恐ろしいバッターに成長していました。
松林は1年生のときから不動の4番バッターとして活躍し、彼が2年のときには私たちを優勝にまで導いてくれたのです。
松林の最後の甲子園でも、当然のことながら私たちは連覇を目指しました。周囲の期待を裏切ることなく松林のバットは轟音を響かせ、準決勝では4打数4安打4打点の大活躍、私たちは決勝にコマを進めました。
しかし決勝では、記憶に残らないほど適当な名前の高校の、全く名前も分からない豪腕投手に抑えこまれ、あと一歩のところで連覇の夢は打ち破られ、松林の夏は終わりました。松林は3年間で、甲子園で通算6本のホームランを打ちました。これは清原の13本には及ばないものの、桑田や元木に並んで、それに次ぐ偉大な記録です。
松林は卒業しました。卒業したあと、松林はどうしたのでしょう。大学へ進んだのか、プロ入りしたのか、あるいは大リーグにスカウトされたのか、私にはなんの連絡もありません。そういえば、私は松林の下の名前を知りません。松林と楽しい会話をかわした記憶もありません。松林の両親が挨拶にきたこともありません。
松林の記憶とともに私の野球部監督としての情熱も急速に失せていきました。
諦める理由
「諦める理由などない。」というコピーに軽く違和感を覚えた。どうしてだろうと考えながら歩いた。
私にはわりと経験主義的なところがあって(*)、ときどき因果関係の実在を疑っている自分に気づく。この宇宙が存在する理由、私が存在して生きている理由がそもそもないのだから、その理由のない世界の中で語られる理由なんて幻想でしかない。
やがて矛盾だらけの自分に気づく。そもそも理由などないからだ、と言いながら、私は違和感を覚えた理由を探しているではないか。
もっと具体的に考えた。一般的に「諦める」という行為に理由が必要だろうか。プロの勝負師が諦めるのはどういうときだろうか。理由も何も、それは勝利の可能性が物理的にゼロになったとき、ではないだろうか。そうすると、「諦める理由などない。」というコピーは、単にクライマックスシリーズ出場の物理的な可能性がまだゼロではないこと、を意味している。可能性がゼロになったときに諦める、それは諦める「理由」というだろうか。私の違和感はそこにあった。
ただそれだけのことだった。
*私は経験主義者だ、という意味ではない。哲学の専門家でもない限り、日常の生活の中で、私は〇〇主義者だと宣言する人は稀だろう。多くの普通の人は、その時々によって〇〇主義的であったり、△△主義的であったりするものだ。
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