さまよえる下半身
今場所は今日で幕内優勝が決まっちゃったし、隆の山の取り組みも終わってるしで、なんか、とてもくだらない相撲話でもだらだらしようと思います。それにしても琴欧州と琴光喜がもう少し頑張ってくれたらなあと思う人は多いよね。琴奨菊は頑張ったけどもっと上位に通用してほしいし。
そんなことを考えているうちに、私の思考は、いくら何でも「琴」のつく四股名多すぎじゃね?というところに及びました。佐渡ヶ嶽部屋だからって必ずしも「琴」の字つけなくてもいいんじゃないか。だいたい先代佐渡ヶ嶽の琴櫻なんか「琴」のイメージとも「櫻」のイメージともかけ離れた顔だったじゃん。いや、待てよ、そういえば琴櫻の時代から佐渡ヶ嶽部屋の力士は必ずといっていいほど「琴」をつけていたなあ、長谷川は例外として。そう思ってウィキったら、やっぱ詳しくて感心しました。
なるほど、佐渡ヶ嶽部屋を興したのは琴錦で、琴は故郷の琴弾八幡宮に由来しているとな。知らなかったなあ。あ、ちなみに琴錦といっても先代の琴錦であって、みんなの知っている「さまよえる下半身」の琴錦じゃないよ。
ちなみに僕はこっちの方の琴錦のことは今でも琴エッチってよんでます。それから僕のパソコンで「ことにしき」を変換するとどうしても「股と錦」になっちゃうんですよ。股が錦だなんていかにも琴錦(琴エッチの方)らしいなあ。
おかげでどうやら「琴」を四股名につけるのは既に佐渡ヶ嶽部屋のシキタリらしいということが分かりました。だからもしも把瑠都が佐渡ヶ嶽部屋だったら琴把瑠都って名前にしなきゃならんってことです。まあ親方の現役時代の四股名から字をもらい、それが部屋の伝統となっていくことはけっして悪いことではないと思いますが、ちょっとやりすぎじゃないかなあとも思います。例えば元寺尾の錣山部屋だと寺尾丸、寺尾鵬、寺尾翔、寺尾龍、寺尾海、寺尾藤。元舛田山の千賀ノ浦部屋だと舛ノ山、舛東欧、舛光理、舛奄美、舛名大って具合に、おいおい何でも舛つけりゃいいってもんかよっとちょっと文句をつけたくなります。錣山部屋や千賀ノ浦部屋は全員じゃないからまだいいけど、佐渡ヶ嶽部屋だったらほんとに全員が「琴」です。もう驚くほど「琴」です。
琴高橋、琴渡部、琴岡崎には、そのうち立派な四股名を名乗れるよう期待していますよ。もちろん琴がつくだろうけど。
このままこういう風習が続くと、もしかしたら将来把瑠都が引退して部屋を持つようになったりしたら、あいつは単純でいいやつだから、きっと弟子の名前を、若把瑠都、把瑠都海、把瑠都丸、把瑠都豊、大把瑠都、春日把瑠都、把瑠都富士というふうに、把瑠都だらけにしちゃうんじゃないかなあ。それだけが今から気がかりです。
ちなみに、今テキトーに考えた四股名の「若把瑠都」ですが、これは僕が子どもの頃に好きだった若鳴門と響きが似ていて、我ながら気に入っています。
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