ローリーさんおつかれさまです
とうとう週刊ブログのようになってしまってます。一筋縄ではいかない大ネタも溜まっているのですが、なかなか着手する気になれません。意外にリクエストの多いのが「もっとローリーさんネタをお願いします」というものです。ローリーが駆け出しの研修生だった頃はやりやすかったのですが、今ではローリーもすっかり指導者の立場ですから、なかなか気軽にはやりにくくなってしまいました。それでもローリーに関するネタは、実はまだすごい傑作が残っていますので気長に待っててください。今日のところはとりあえず、ローリーが職場でも本当に普通にローリーと呼ばれている証拠をあげておいて、お茶を濁します。
Where the Hell is Matt? (2008)
■ Where the Hell is Matt? (2008)
世界中を旅しながら下手くそなダンスをするマット・ハーディング、その2008年版の"Dancing"が公開されたようです。今では大きなスポンサーがつき、また世界中にその名が知れ渡っています。そのためか、初期の作品と比べると大都市で彼に群がり一緒にダンスをする民衆の多さに驚かされます。先生は板門店とメイド喫茶が印象に残りました。あと、ロンドンの民衆にHGが紛れ込んでいるような気がしました。
梅佳代はカントを批判したニーチェか
カントは人間の理性で認識・理解できるものには限界があるとした。私が「もの」を見たとき、それは私が認識した「もの」にしか過ぎず、あるがままの「もの自体」のすべてを捉えることは神にしかできないと言った。ニーチェはこのカントの主張を批判する。そもそも「もの自体」すなわち「客観」などないのだと。世界はただ様々な「主観」が渦巻くカオスなのだと。
先日、トップランナーに出演した梅佳代に観客が質問をした。人にカメラを向けるとその被写体がどうしても構えてしまう、梅佳代のように被写体の自然体を捉えるにはどうしたらよいのかと。まず梅佳代は具体的な例として、例えばお祭りとか花見会場のように人が自然に被写体になってくれるような状況があると説明した。しかし注目すべきはその後に発せられた彼女の哲学的な言葉であったと思う。曰く、
「そもそも自然体とは何なのか。あなたがカメラを向けて被写体が構えてしまたとしても、それはそれで自然体なのではないか」
言い換えれば、その人の「自然体」なんてものはないのだ。そこにはただ、梅佳代に反応する梅佳代が見た被写体、観客の彼女に反応する観客の彼女が見た被写体、がいるだけなのだ。そうして時間と空間はカオスのように渦巻いていく。梅佳代はそのある一時を切り取って見せているに過ぎない。
紙垂(しで)
先生は今日近所を歩いていたのですが、いつもと違う道を通っていたら小さな神社があるのを見つけました。
さて、神社といえば先生はこういう形の紙をすぐに思い浮かべます。
そこでふと、この紙のことを何というのかなあなんてことが気になりだし、ネットで調べることにしました。その結果、この紙は紙垂(しで)というんだそうです。
こんなサイト見ていますと、紙垂を無駄にたくさん作りたい衝動に駆られますよね。しかも作り方には「吉田流」とか「白川流」なんていう流儀があるようですよ。
そういえば先生は以前、手術室で紙垂付きの翡翠器を見たことがあります。
こんなことする人なんか紙垂ばいいのに。
お前ら、これがロックンロールだろ!(黄金の50年代10選)
ロックンロール誕生を知るための10選の続編です。前回先生はカントリーブルース+スイングジャズからジャンプブルースが生まれ、リズム&ブルース、そしてやがてそれがロック&ロールと呼ばれて白人に広まったこと、さらにヒルビリーやカントリー&ウェスタンもリズム&ブルースの影響を受けてロック&ロールの波へと合流し、それらはロカビリーとも呼ばれるようになったことを10曲でまとめました。黒人系ロックンロールとリズム&ブルース、白人系ロックンロールとロカビリーの境界を語るのは難しいことです。
さて今日はサイト開設8周年記念日であると同時にロックの日でもあります。そこでいよいよ先生がロックンロールをどのような音楽と考えているかを表明します。先生の「ロックンロール」という言葉に対する独断と偏見に満ちたその定義をここに示します。
- 50年代後半にちょっと流行って廃れた古臭い音楽
- 12小節のブルース進行が基本のワンパターンな音楽
- ブルーノートスケールを使用したどれもこれも似かよったメロディ
- 基本的に3コードの単調な音楽
以上です。特に12小節と3コードは重要な条件ですからよく覚えてください。ロックンロールといったら、このような構造をしていなければならんのです。
I | I (IV) | I | I |
IV | IV | I | I |
V | IV (V) | I | I (V) |
たぶん先生以上の世代にとって、ロックンロールとはそういう音楽を指すと思います。いつかコメントでかくたさんが「ロックンロール10選なんてチャック・ベリーが半分とかになりませんか?」とおっしゃっていましたが、まさに先生のイメージもそんなもんです。これで実は先生が「ロックンロール」という言葉にネガティブなイメージしか持ってないことがばれてしまいましたね。ええ、そうなんです。大嫌いなんですよ、あんな脳天気で単細胞な音楽。
ではそういうことで、そんな12小節パターンの曲を肌で感じてもらいましょう!
■ Chuck Berry - Johnny B. Goode (1958)
典型的すぎて、かくたさん同様先生の中のロックンロールの50%はチャック・ベリーでできてます。はっきりいって歌詞がなかったらRoll Over BeethovenもRock and Roll Musicも区別がつかないかもしれません。さすがにジャズくささは抜けてしまってまさにロックンロールですね。
■ Little Richard - Long Tall Sally (1956)
ポール・マッカートニーが初めて人前で歌った歌だそうだからセレクトしました。バックミュージシャンはまだジャンプブルースっぽいですね。
■ Dizzy Miss Lizzy - Larry Williams (1958)
ラリー・ウイリアムズはR&RというよりもR&Bという印象がありますが、ジョン・レノンがこよなく愛したこの曲はロックンロールの条件を充分満たしています。
あと黒人だとファッツ・ドミノですが前回出てるので省略して、白人に移ります。前回登場したエルビスとビル・ヘイリーも省略です。あと、白人ロックンロールスターとして名高いジョニー・キャッシュは、先生にはどうしてもカントリーに聞こえるので外します。
追記:当初ジョニー・キャッシュを抜いたので9曲となってましたが、せっかくなのでエルビスを追加しておきます。教科書的な曲です。
■ Elvis Presley, Hound Dog (1956)
Hound Dogのオリジナルはこちらのビッグ・ママ・ソーントンが歌ったバージョンです。
■ Carl Perkins- Blue Suede Shoes (1956)
まだ少しだけカントリーくささの残るカール・パーキンスですが、ロックンロール史上に残る名曲Blue Suede Shoesは今でも多くのロックミュージシャンに愛され演奏され続けています。ビートルズもカール・パーキンスは大好きで、マッチボックスなど3曲ぐらいカヴァーしてますよね。
■ Jerry Lee Lewis - Whole Lotta Shakin' Going On (1957)
白人といえばジェリー・リー・ルイスは外せませんよね。カントリーくささは破壊されていて、まさにピアノ・ロックンロールの王道です。
■ Gene Vincent - Be-Bop-A-Lula (1956)
20代前半でロカビリーの大スターとなったジーン・ビンセントは、後のネオ・ロカビリーにも大きな影響を与えているのではないでしょうか。
さて、7曲あげましたけど、いずれも3コードが基本で12小節のブルース進行が単位の単純な構造をしており、メロディにはブルーノートスケールが使われております。ですから、バッハの曲が全部同じ曲に聞こえたり、ヘヴィメタが全部同じに聞こえたり、演歌が全部同じに聞こえたりする人がいるのと同様、かつての先生にはどれもこれも同じに聞こえました。先生の中ではこういうのをロックンロールというのであって、この条件から外れるものはちょっと微妙、ということになります。例えば…。
■ Bo Diddley - Bo Diddley (1955)
最近訃報が伝えられて、ニュースではロックンロールの創始者と報道されていたのでボ・ディドリーを上げますけど、ちょっと毛色が違うような気もします。前回先生はロックンロール誕生の軌跡にシカゴブルースのようなシティブルースを省きましたけど、先生はボ・ディドリーはそっち系の人だとの認識でした。この曲はいわゆるダンスカスカダンスカダンダン、ジャングル・ビートあるいはボ・ディドリー・ビートといわれるリズムが強烈な個性を放っており、耳から離れませんよね。しかもコード進行は3コードどころか、もっと単純なワンコードじゃないですか。すでにファンクに近いんじゃない? 先生にはロックンロールより新鮮に聞こえますね。
■ Eddie Cochran - Summertime Blues (1958)
エディ・コクランもロカビリーという印象が強いですが、オリジナル曲にはこの超有名曲があります。しかし、単純な12小節進行にとどまらず、半小節挿入でコードチェンジするというアクセントが古くささを感じさせないポイントなのかもしれません。
さて、50年代後半の最盛期のロックンロール・ミュージック特集、その最後を締めくくるのはこの人に決めていました。
■ Buddy Holly Live in New York With Peggy Sue (1959)
ということでバディ・ホリーなんですが、彼も今まで聞いてきた典型的なロックンロールとは違うような気がします。このペギー・スーは一応12小節単位のブルース進行なんですが、ブルーノートスケールの使用頻度が少なく、より白人が聞きやすいポップな仕上がりになっている気がします。先生今気がついたんですが、ブルーノート抜いてメジャースケールになり、さらにヨナ抜き音階にして日本人にも受けるようにしたロックンロールがジッタリンジンのにちようびなのかなとか。
話がそれましたが、バディ・ホリーに関してはThat'll Be The DayにしてもMaybe Babyにしても、「ロックンロール」という範疇では語れず、それを遥かに超えたポップミュージックに昇華する可能性を秘めていた人のように思えます。残念ながら彼は59年に不慮の死を遂げますが、彼らが確立したギター2+ベース+ドラムという編成は、リバプールの4人の若者に引き継がれます。そして4人の若者はバディ・ホリーのバンド名クリケッツ(コオロギ)にあやかってビートルズ(カブトムシ)と名乗るようになり、ロックンロールを超越する使命さえをも引き継いでいくことになるのです。
参考:まとめリンク:最強のロックンロール・ソング10選 - 音楽中心日記blog
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