スペースサーカス
最強のロックンロール10選ですけど、忘れてませんよ。忘れてないどころか強迫観念にすらなってきてます。その証拠に、ここんとこ音楽ネタばっかりじゃありませんか。ところがまたまた、私の音楽的思考を妨げる出来事が起きてしまったのですよ。
それは昨年の9月のことだった。学生時代にヘルプで参加したコピーバンドのことを突然思い出し、sublogの方にこんな書き込みをした。
僕が学生のころ、とあるフュージョンバンドにヘルプのキーボードとして参加したときにやった曲がよく思い出せないので困っています。1曲は「浪速エクスプレス」の「高野サンバ」だったのを鮮明に覚えてますが、あとが全然です。メロディがとても美しくて印象的だった1曲があるのですが、「アルカディア」という言葉だけが頭の隅に残っています。ひょっとすると、「スペースサーカス」の「アルカディア」だったのだろうか。当時、僕はそういう日本のコアなフュージョン、たとえばその「浪速エクスプレス」とか「スペースサーカス」とか「プリズム」とか「9999(フォーナイン)」とか、そういうカシオペア&スクウェア以外のバンドにとても疎かったものですから。ところでスペースサーカスは入手困難な模様です。どなたかアルカディアがどんな曲が知ってる人がいたら教えてください。(スペースサーカス - SueMe SubLogより)
別に何かを期待して書いたわけじゃない。将来どこか都会の中古CD屋に立ち寄る機会でもあったら、そのときにふとスペースサーカスのことを思い出せればいいな、そんな程度の軽い書き込みだった。ところが、こんな辺境ブログでも書いてみるもんだなーって思ったね。「はてなキーワード」機能のおかげなんだろうけど、2ヶ月ほど経って「みかばす」さんという方からスペースサーカスについてのコメントを頂いた。ただ、このとき、それはすでにかなり過去のエントリーとなってしまっていたので、私はそのコメントをすっかり見逃してしまっていたのだった。そして、彼らがこの世に2枚だけ残したアルバムの、CDとして3度目の再発が決定したとき、ご丁寧にも「みかばす」さんは再びそのことをコメントで知らせてくれたのだ。これを見逃していたならば、私とスペースサーカスの再会は永遠になかったかもしれない。再発のことを知ると、私の頭の中で断片化している「アルカディア」という曲が徐々に憧憬と化していった。そして私はCDを発売前に予約注文をするなどという生まれて初めての行為に及んだのだ。
届いた。聞いた。何というか、気持ちいいリズムとか、何かノリノリとか、聴衆との一体感とか、そういう今の音楽に求められている「楽しさ」とは全く別次元の音楽だと思った。思ったというか、思い出した。演奏を楽しむのではなく、楽器に自分自身を縛りつけ、無理やり自分を楽器と一体化させていき、ともすると聴衆を置き去りにしたまま自分だけ高度な次元に行ってしまいそうな感覚、ストイックさ、緊張感、この時代にしか味わえなかった音楽だ。ボーナストラックに収められた聴衆のいない会場でのリハーサルテイクが、いっそうその思いを強くさせる。
さて、「アルカディア」とは四半世紀以上ぶりの再会だった。この曲はコピーして演奏したのだから、当時は死ぬほど繰り返して聞いたはずだ。でも、サビの部分は自分の記憶どおりだったが、イントロなどは全く忘却の彼方だった。人間の記憶なんてそんなものかと唖然とした。コピーバンドのギタリストとは初対面だったが、彼は本当に上手だった。当時の私はキーボードを弾きながら、彼のギターに聞き惚れていた。サビメロの最後で、ギターとシンセがほとんどユニゾンになるのだが、一箇所だけ、ギターが「ターラーラー」なのに対して、キーボードはその前に16分音符が2つだけ入って「タラターラーラー」なところがある。最初は自分のパートしかコピーしてこないから、初めは彼に「お前が間違ってる」と言われた。次の日に全パートを聞き直してきた彼は、「俺が間違ってた、やっぱりお前が正しい」と私に謝った。先ほど、人間の記憶力に幻滅したばかりだけど、アルカディアを何度も聞くうち、そんな些細なやりとりの事まで思い出させてくれる音楽の力っていうのは、ほんと凄いよなあとか思った。
恥ずかしながら、ベーシストがその後PINKなどで活躍し、今では高名なプロデューサーである岡野ハジメさんという方だと、今さら知った。また、ライナーノーツで、ギタリストの佐野行直さんがつい最近お亡くなりになったと知った。こんなすごいギタリストの名前を、その人が亡くなってから記憶に留めることになろうとは、私はいったいこの25年以上何をやっていたのかと、自分で自分を責めたい気持ちでいっぱいだ。
余談だけど、スペースサーカスのALIBABAをほぼ完璧にコピーしているアマチュアバンドを見つけた。恐ろしいテクニックだ。完敗。 ■ALIBABA / スペースサーカス / ergo
チープトリック at 武道館 AGAIN!
我が日本の誇る女の子たちがその黄色い声の絶叫で、チープトリックと武道館<BUDOKAN>の名を世界に知らしめてから30年。今日、武道館では一夜限り、その伝説のライブが再現される!
■YouTube - Cheap Trick "I Want You To Want Me"
イモージェン・ヒープ
最強のロックンロール10選ですけど、そりゃあ先生は忘れてませんよ。忘れてませんけど、さてとりかかろうとすると、そもそもロックンロールってなんだろうと考え込んだり、そうしてYouTubeをさまよっているうちに全然違うものにハマりこんだりして、さっぱりできません。たとえば最近ハマったのはDIGITAL DJで知ったイモージェン・ヒープのこれ。
■YouTube - Imogen Heap - Just For Now (live at Studio 11 103.1FM)
その場で自分の声をサンプリングしながら、その場で多重録音してオケを作りながら、最終的には重厚で幻想的な楽曲ができあがっていきます。この曲自体、スタジオ・バージョンもたしかに素晴しいのですが、制作過程自体をもパフォーマンスとして作品化してしまう、まるでアクションペインティングのような、それでいて驚くほど完成度の高い作品に仕上がっていることに、もう先生はたまらずノックダウンです。これでまたしばらくロックンロールのことは考えられなくなりそうです。
観念と呼ぶにはあまりに生々しく
そのとき順子は、焚き火の炎を見ていて、そこに何かをふと感じることになった。何か深いものだった。気持ちのかたまりとでも言えばいいのだろうか、観念と呼ぶにはあまりに生々しく、現実的な重みを持ったものだった。それは彼女の体のなかをゆっくりと駆け抜け、懐かしいような、胸をしめつけるような、不思議な感触だけを残してどこかに消えていった。
村上春樹「アイロンのある風景」より
自分の気持ちを整理しようと、頭でいろいろと考えていると、その思いが言語化されていく。
でもそれは結局「観念」に過ぎないのかもしれないな。
だって私の体は私が無自覚のうちに何かを感じ、何かをしようとしているんだもの。
「過ぎない」と書くと、「観念」を見下しているようで失礼かもしれない。
それにとらわれるのも、眉と眉の間にしわを寄せながらも実はそれを楽しんでいるのも、 それはそれで人間というものなのだろう。
年をとったら分かること
詩人の松本圭二さんが、本人曰く「やけっぱちの」青春小説を書いた。
ご自身の若い頃は、ただ時間をだらだらと無駄に潰すだけのとても青春とは呼べない代物だったので、だからこの青春小説は嘘っぱちなんだそうだ。公務員をやめて退路を断ち、小説家として食ってくことをやけっぱちで決断されたようだ。詩を読んでる限りは、こんなおもしろい方だったとは思ってなかったなあ。ご本人にしてみれば必死なのだろうから悪いけど。
今思えば、私も若い頃をずいぶん無駄に過ごしてきた。というか、大方の人の若い頃なんてそんなものだろう。社会人になってからは、劣等生だった分を挽回しようと、私にしてはこの分野でずいぶん頑張ってきたと思ってた。少しは名も売れたし、講演や著作の依頼も入るようになった。しかし最近、それは所詮狭い分野での話だということに気づくと、この分野で頑張ってきたことも、結局若い頃と同じで無駄であるような気がしてきた。だから試しに講演も原稿依頼もほとんど断りつづけてみた。すると、たった1年でそういう仕事は入らなくなった。所詮それだけの仕事だったということだ。
少し時間ができると、もっと人間としての、いや、人間としてのと言ってしまうと大げさに聞こえるが、言い換えればひとりの平凡なおじさんとして、息子として、夫として、もっと大事なことがあるような気がする。私はどうして私なのだろう、私はどうしてこの親たちから生まれてきたのだろう、私はどうしてこの人と出会って夫婦になったのだろう、そんな子どもみたいな疑問が今さらのようにつきまとうようになった。
偉大な詩人が、小説家が、哲学者、思想家、宗教家が、そして画家や音楽家たちが、時を超えて数え切れないほどの素晴らしい作品を私たちに残してくれている。そうして私がそれらを賞味できる時間は刻一刻と削られていく。所詮すべてを堪能することなど不可能なのだけれども、この1年、仕事よりもそういうことに重きをシフトしてみた。おじさんにとっての1年なんて若者のそれに比べれば微々たる時間なのだけれども、そんなわずかな1年だって私を明らかに変えつつあると思うよ。
こちらでは、今年のサクラはまだ満開ではないけれども、なかなか良さそうだね。カタクリも毎年見てきたけど、今年もとても良かったよ。サクラもカタクリも、私がいなくなったあとも悠久の時を超えて毎年春に咲くことを繰り返すだろう。花は毎年同じように咲くのに、私の花を見る目は年々変わってきている。私はあと何回この感動を味わえるだろうか。そう思うと、今年も美しい花を鑑賞できたことに涙が浮かんでくるほどなんだ。
私が「無駄」と言ったのは、けっして悪い意味じゃない。現に私は今、これまでの人生を後悔はしていない。もちろん、若い頃にもっとこうしていればと考えることもあるが、ただ年を重ねると、あの頃、がむしゃらだったり苦しかったりした自分も、それも間違いなく自分だったのだと思う自分がここにいる。若い頃に戻りたいとか、もっと若ければと思わないこともないが、そのようなかなわぬ願いは年々薄れ、こうして静かに年を重ねていくのも、まあ悪くはないなという心境になっている。
今でもつらいことはそりゃあるよ。でも所詮つらいということは、自分以外の何者かに振り回されているからに過ぎないんだ。そしてそれも、そんな自分だったのだなあと受容できる日が誰にでも来る。どんな人生を歩もうと、それでもまあ悪くない人生だったじゃんと最期に思えることが、しょせん人間のささやかで、それでいて最高の目標なんではないかな。
出だしと終りがちょっとずれてしまって、ほんとはもっと違うことを書きたかったんだけど、今日はこれまで。おやすみ。
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