緩和医療2
私が若い頃の、強く印象に残っている患者に婦人科の末期癌だったFさんがいる。ゴルフの先生で、若い医者には威勢良く怒鳴るほどの厳しい人だった。周りの医療者は、彼女がなかなか口を開いてくれない、本音を話してくれないと悩んでいた。
私はこの頃から、それは医療者特有の奢りであると感じていた。今さっき知り合った若造に、これから死を迎えるという人生経験豊かな人が、そう簡単に自分を語るはずがない。医療者は、自分が医療者だというだけで何を奢り高ぶっているのだろうと。
私はただ、症状の経過を確かめるためと、鎮痛薬の持続投与の調節のためだけに毎日通った。それ以上のことは私にはできないし、私ごときがFさんの人生に介入するような真似は逆に失礼にあたるという信条だった。
最初の頃は、効いていない、このヤブ医者め、とののしられたが、いつの日からか、たわいのない世間話をするようになった。
秋も深まりかけたある日、三国峠の紅葉を見たことがあるかと尋ねられた。行ったことがないと答えると、必ず一度は見に行った方がいい、今年は急に寒くなったし、きっと素晴らしい紅葉になるはずだと教えてくれた。
それからほどなく、Fさんは意識がなくなってこの世を去った。そして紅葉が見ごろになったとき、私はFさんの「遺言」を遂行しなければいけないと思い、妻と三国峠を訪れた。確かに素晴しい紅葉だった。
そのとき、あれは私への遺言なんかじゃなくて、Fさん自身が死ぬ前にこの紅葉をもう一度見たいという意味だったことに気づき、とつぜん涙が溢れてきた。
緩和医療
私は医学生や看護師たちが、緩和医療というものが崇高で素晴らしい医療行為であるという幻想を抱くのをよしとしない。特に精神的な支えがどうの、スピリチュアルがどうのという面に期待するのはまさに幻想である。
緩和医療は痛みと、原疾患や麻薬治療の副作用としての腹満・高度の便秘といった不快な症状を取り除いてなんぼの医療である。死に際の本当の精神的な支えとなるべきは、長年連れ添った家族であり、あるいはときには宗教や哲学であって、つい最近知り合った単なる医療者がどうこうできると考えるのは奢りに他ならない。
以前、末期癌の同僚が、どうしてもお前らに伝えたいことがあると、無理をおして医局に来て皆の前で話をした。あとわずかで死ぬ者に対して、苦しいときに、頑張れとか言われても、聞く耳は持てない。お前らの仕事は、症状を取ることだ、と言いきった。その数日後に彼は世を去った。
実際には、緩和医療は痛みに対する麻薬の量調節と種類のローテーション、副作用対策がメインであり、学問的にはけっして奥が深いとはいえない。誰でも少し勉強すればそこそこできるようになる医学分野といえる。
そして、難治性疼痛に対するペインクリニックと異なり、緩和医療には良くも悪くも必ず終りが訪れる。
ペインクリニック
難治性疼痛は文字通り難治性だ。完治する症例はごくわずかだ。ペインクリニック学会でも、いまだに有益な統計学的研究は数えるほどで、その多くが数例の有効例の症例報告であるというのも、ペインクリニックの難しさをものがたっている。
この場合、患者は限りなくドクターショッピングを繰り返すか、あるいは漫然とした治療を受け続け、漫然とした治療を受け続けること、外来に来て痛いと訴えることのみが生き甲斐となる。
先日、非常に治療に難渋したが、完治と社会復帰への意欲が並々ならない若い患者がいたので、その心意気に答えようと、なかなか予約が取れない東京のある有名病院を紹介して何とか早く入院治療を施してもらえた。
しかし、日本で随一のペインクリニシャンでさえもどうすることもできなかったようで、飛び出して帰ってきてしまった。
ペインクリニックは治療の終りが見えないつらい診療科である。
5%と9割
私が、まさかこんな時代になるとは思っていなかったはるか昔から、手術の種類と生存率の関係について時間をかけて説明をする外科医がいて、感心していた。
しかし、5年生存率は95%、転移の可能性は5%と説明した場合、いざ自分が5%の方に入ってしまうと、「95%の確率で治るのに5%の方に入ってしまったのはおかしい。医療ミスがあったのではないか」と言われると嘆いていた。
今の世の中は、まさにそんなものだ。
統計学的な有意とは95%で定義されることが多い。なぜかという学問的な根拠はあまりはっきりしないが、それが人間の感覚というものなのだろう。5%に入ってしまった人が、なぜ自分が5%なのだと喘ぐ気持ちは理解できる。
最近、9割はちょめちょめ、という本が流行っている。9割は微妙で筆者にとって非常に都合のよい数字なのではないだろうか。これが5割とか6割とかならはなから説得力に欠け、読む気にはなれない。9割なら読んで実践してみようと思う。しかし、万が一外れても、自分は1割の例外なのだろう、10人に1人だし、あり得ない数字ではないな、ということで納得してしまい、おそらく文句の出る頻度は少ないであろう。
これが、話し方で9割5分変わる、という本で、もしも変わらなかったら、この本は詐欺じゃないかと思う人が増えるのであろう。
人間、9割5分はほとんど10割と考える。9割ならそうは考えない。このあたりに分岐点がある。
9割は都合のよい数字である。
そうならないようにお願いします
手術のベネフィットとリスクを冷静に説明し、それに対する患者および家族の理解度と反応を詳しくカルテに残してくれる外科医には助かります。
先日、合併症としての感染症の可能性を説明した際、「そうならないようにお願いします」という家族の反応が記載されていた。気持ちは分かる。そのような場合、もちろんそうならないよう努力します、とか、そうなった場合も早期に対処しますからあまりご心配なくとか、確率としては高くはない、などとなだめるのが現実的で大人の対応といえるだろうが、本当は「絶対にそうなりたくないのなら手術は受けるな」というのが正しい態度であろう。
我々がどれほどリスクを憂慮し、苦渋の決断の連続の上で医療行為を行っているかなど、所詮理解されないことなのかもしれない。
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