ニコニコ動画の大泉と安田
これは私が北海道にいたときにリアルで見ていたもので、その当時の衝撃は今でも忘れられない。下ネタ、下品といってしまえばそれまでだが、安田の包茎手術に視聴者の募金があっという間に集まるという道民気質、手術の一部始終を放映してしまう鈴井社長とHTBのあっけらかんとした放送限界への挑戦、再び目にすることができるとは思ってもいなかった。私は私のうちにある道産子としての資質を見透かされているようで、それを誇っていいのか、恥じるべきなのか、実はその恥じるべきものが誇れるものなのか、思案に明け暮れている。実際にはたった今、S浦と馬鹿笑いしながら見終わったところである。ちなみに石川県人のS浦の評価はすこぶる高かった。
■水曜どうでしょう 062 十勝二十番勝負 最終話‐ニコニコ動画(9)
これはリターンズの映像だが、北海道在住中に私がリアルタイムで見ているとき、それまでよくあるローカル深夜番組に過ぎないと思っていた「どうでしょう」が、ひょっとしたらすごい番組かもしれないと初めて思い知らされたのが、この十勝二十番勝負での大泉がONちゃんを殴りまくるシーンだった。今でこそ、各地のテレビ局がかわいいマスコットを有していて、それぞれに人気があるのは当たり前のことであるが、昔はそんなものは珍しかったか、あったとしても「ゆるキャラ」の範疇にさえ入れられない代物ばかりだった。HTBにも昔、ヒグマのぬいぐるみのマスコットがいたのだが(後にその残骸は大泉によって発掘され、森崎がかぶることになるが)、話題にものぼらなかったと記憶している。そこへいくと当時のONちゃんは、そのかわいさがウケて人気急上昇中であり、全国的にも注目を集め始めているところであった。そのような、社運を背負っていたといってもよい大事なキャラクターが、中身が安田とはいえ、何の遠慮もなく殴られたり蹴られたりしているのである。このような番組を許すHTBは、なんとふところの深いテレビ局だと感心し、私にとって「どうでしょう」は、たまたま見る番組から、毎週必ず見る番組へと昇格したのだった。
エホバとの攻防の思い出
ものみの塔協会にはこういう医療、特に輸血のエキスパートみたいな方がいますね。熱心な信者だと術前にわざわざそういう人を連れてきます。輸血拒否と一口にいっても、実際どこまでいいのか。自己血はいいのか、血ではないけど人の血が原料のタンパク製剤はいいのか、などなど、細かく突っ込むと不勉強な信者はとまどいます。中には血(赤血球)じゃなきゃいい、と軽くオッケーする人もいますし、信者といってもいろいろだと思います。逆に、とにかく人のものが原料なものはダメなんですとおっしゃる方もいて、それじゃあ動物もダメなのかなあとか、じゃあミラクリッドとかインシュリンとかもダメなのか?と分け分かんなくなってくるので、あまり深く考えないようにします。
俺はある支部のそういう人たちと話し合ったことがあるんだけど、彼らも、新しい技術が登場するたびに、宗教的に解釈するのが大変なんですよ。以前、自己血輸血という良い方法ができたと喜ばれたこともありましたが、その後、一度自分の身体を離れた血液はダメという見解になり、貯血による自己血輸血はできなくなりました。じゃあつながっていればいいんだな、という解釈をこちらはしまして、希釈式自己血輸血という方法を提案したことがあります。これは手術の直前に採血バッグに貯血し、代わりに膠質液などを輸液する方法です。貯血バッグは重力によって自然に採血されるように床に近い低いところに置いておくのですが、それをそのまま血管につなげておき、輸血が必要になったら貯血バッグを高く上げて体に戻すという方法です。これなら血液は体と繋がっていたことになります。ところが今度は彼らは何といったかというと、繋がっていたとしても、流れて続けていないとダメと言い出したんです。くそー、ちょっとでも流れてりゃいいんだろ、っとこっちもムキになって、貯血バッグを振盪機の上に載せておいて揺らし続けるという裏技を提案したりもしました。うん、まあ少しでも流れているんだったら、いいのかな……と、彼らもだんだん弱気になってきます。
一度離れた血液でも、体と繋がっていてかつ流れていればオッケーという解釈は、おそらく人工心肺を認めるために考え出されたものなんですね。そうしないと、心臓の手術自体を否定することになっちゃいますから。でも人工心肺だって、厳密に言えば一瞬流れが止まる場面ってあるよね。とか、あまり細かいつっこみを入れると、輸血の解釈担当の人がまた悩んでかわいそうなので、もうやめましょう。
現実的な話をすると、輸血の可能性が極めて低い手術に関しては、念書にサインして無輸血で引き受ける、出血が予想される手術は、やはりそのような信者に慣れている病院に行っていただく、これが普通の医師の妥当な対応なんではないでしょうか。
急性ストレス障害と神経衰弱と抑うつ状態
朝青龍の「病名」が発表されるたびに大騒ぎなマスコミだが、まあ一般の反応としてはそんなもんだろうなと思う。世間は、その精神が異常なのか正常なのか、病気なのかそうではないのかをはっきりさせたがるものだ。だが人の精神状態はそもそもいつも一定じゃない。誰だって悲しんだり落ち込んだりするし、それが仕事や日常生活に差し支えることだって珍しくない。精神は連続したものなので、そのある一断面を切り取って異常か正常か判断することには、はっきりいって意味がない。
俺は精神科医じゃないので当たってるかどうかは分からないが、精神科医にとって大事なことは、その人に元気になってもらって元の生活を取り戻してくれることであって、異常か正常かを判断することじゃないんだ。「診断」は治療のためのものであるべきだ。犯罪者の精神鑑定とかをやる精神科医の方は、門外漢が想像する以上に、さぞやご苦労なさっていることだろう。
マスコミの報道を見ていると、やれ神経衰弱ではなくて急性ストレス障害だとか、やれ抑うつ状態よりは軽い(たぶん大うつ病と間違ってる)だとか、やはり混乱しているようだ。そもそもメカニズムが完全に解明されてない複雑な精神活動に関わる病気を診断するのだから、精神疾患の疾患名がその症状や状態を表す言葉になってしまうのが現状である。たとえば、身体疾患であれば、胃が痛い人に「胃痛症」という診断名はつけない。それにはその原因やメカニズムが判明した後に、「胃潰瘍」とか「胃がん」といった診断名がつけられる。ところが精神疾患ではそうはいかない。「うつ病」のことを「シナプス間隙セロトニン欠乏症」とか、「セロトニントランスポーター機能不全」とか呼ぶまでには至っていない。だから、やはり症状に基づいて呼ぶしかないのだが、どうしても医師の主観という問題を含んでしまう。憂鬱だ、といっただけで「うつ病」と診断する医師もいれば、動けなくなっていろいろと支障をきたすようになってからやっと「うつ病」と診断する医師もいる。
でも確かなことは、精神疾患というのは複雑なものではあるけれども、明らかに同じメカニズムで起きていると思われる共通した症候群というものは存在する。たとえば、電車に乗ったときに死にそうなほど胸が苦しくなるという典型例で有名な「パニック障害」なんかは分かりやすい例である。だから、世界の精神科医たちは、ある程度その症状を客観的に評価できるように基準を決めた分類を作り、それにのっとってみんながなるべく同じ診断名をつけられるようにし、客観的なデータを集めることが精神疾患の正しい解明への道だと考えた。その代表的なものがDSMやICDである。そしてこれらの分類は、精神医学の、特に病理的器質的研究の発展とともに、それに合わせた改変改良が行われ続けているのである。
「急性ストレス障害」と診断した医師は、DSM-IVにのっとって診断したのだなということが分かる。ICD10ならば「急性ストレス反応」となる。ただし、これが長引けば、一般にもよく知られているPTSDということになる。
ということからも分かるように、急性ストレス障害の診断では、そのストレスが生死に関わるような重大なものである必要があると思うのだが、日本相撲協会の処分が朝青龍にとって生死に関わるほどのストレスなのかというと、ちょっと疑問に感じる。「適応障害」が無難なところだと思うのだが、本人を診察していない非専門家のいうことなので、聞き流してください。
では、「神経衰弱」と診断したあの医師は何者なのだろう。可能性としては2つだ。ひとつは、DSM-IVを知らない不勉強なニセ精神科医である可能性。もうひとつは、本当は優秀な精神科医だけれど、DSMの診断名を発表したところで素人には分からないので、素人にも分かりやすいように聞き覚えのある言葉「神経衰弱」を使用した可能性。
いずれにしても、朝青龍が協会の処分にショックを受けて抑うつ状態に陥っていることには変わりないわけで、それが「急性ストレス障害」だから、「神経衰弱」だからといって、治療法が大きく変わるわけでもなく、もちろん特効薬の種類が異なるわけなんかないのである。おそらく、休養、カウンセリング、抗不安薬や抗うつ薬の投与といったところが治療の中心となるはずで、あとは精神療法的なものに重きを置くのか、薬物療法に重きを置くのか、薬物を使うとしたら、その使いこなし方なんかの違いが、精神科医の腕の見せ所なのだと思う。前述したように、精神科医にとっては、患者が元気になって元の生活を取り戻すことが最重要なのであるから、住み慣れた母国で家族とともに過ごすのがよいのかと聞かれれば、それは「よい」だろうと答えるのは全く当たり前の話だ。モンゴルに帰るのがいかんのかどうかは社会的な話であって、協会関係者や相撲ファンがどう思うかの問題で、医学的に帰国が最適な治療なのかと聞かれても、きっと精神科医は困るんじゃないかと思うのだ。
くるまクン
先生が使っているティシュカバーです。先生には、こういうものをみると、とりあえず頭にかぶってみたくなる習性があります。でも皆さんの前でかぶるのは恥ずかしい。そんなとき頼りになるのはやはり我らがローリーです。ねえローリー、ちょっとかぶってみてくれない?
「キャーッ! 車々ーッ!」
さすがローリー、「さかなクン」に対抗して「くるまクン」の演技付でした。
参考リンク:■さかなクンオフィシャルホームページへようこそ
ロックな10cc
「ロックな10cc」というお題で考えました。10ccといえば、I'm Not In Loveがあまりにも有名です。
■ 10 CC - I'm Not In Love - YouTube
でも、これってロックか? デビューアルバムよりシート・ミュージックの方がロックっぽいべか。いや、The Dean And I、Donna、YouTubeで見る初期の曲は全然ロックっぽくないなあ。
分裂以降(いわゆる5cc)はちょっとロックっぽいだろうか。ロックっぽいというより、Dreadlock HolidayとかFeel The Loveなんかレゲエしちゃってるしなあ。 でも分裂後のライブアルバムなんか結構ロックっぽかった覚えがあるけどなあ。いや、ロックっぽいかどうかなんて本当はどうでもいいです。分裂後の名曲、「愛ゆえに」を貼りたかっただけ。これで許してください。
■ The Things we do for Love - Live 1977 - YouTube
注:冒頭の写真は、「ロックなしシリンジ10cc」と書かれた袋の写真であり、ロック機構の付いていない10ccの注射器が入った袋と思われます。本文とは何の関係もないことをお断りしておきます。
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