誤爆
先生、断筆なんて言いましたけど、当然それは冗談だったんですけど、こう虚しいニュースばかりだと、マジでアホなこと書く気は起きません。
意図的で情報操作されたニュースを1週間見続けたあなた、感化されましたか。人はけっこう1週間ぐらいで考えを変えてしまうものです。
先生はどうかと言いますと、信念の無い先生にしては珍しく、けしからん、けしからん、と怒り続けています。
先生は、お腹が弱いので、1日にけっこうな回数、大の用事を足しにいきます。ところが、トイレットペーパーが無くなっても、自分でホルダーに付け替えずに、床に置いてある予備のヤツをそのまま使うヤツばっかりです。毎日毎日散乱したトイレットペーパーを片付けてからホルダーに取り付ける先生の身になってください。それから、散乱しているのが未使用の物ならまだしも、使用済みの物を床に撒き散らしていくクセのあるヤツがいるようです。信じられません。さすがの先生も、こんなヤツは空爆されても仕方ないと思います。さらに困るのは、必ず○器の外に大○を落としていくヤツがいることです。いいかげんにしてください。先生は、もう誤爆はコリゴリなのです。
断筆
ブッシュの是非は歴史が決めるって?
そんなこと大人ぶった顔して語る役人たち、先生は大嫌いです。じゃあ、織田信長は是か非か? 中大兄皇子は是か非か? 全く持って話にならないでしょ? 歴史は将来のためにあるのではなく、今のためにあるのです。
温和な先生だって、いろいろ腹立つのです。頭を冷やすため、数日間、断筆します。いや、いいネットカフェがあったら別です。
No War
No War
皆さんもやっぱり戦争反対なんでしょ?
イラク攻撃反対なんでしょ?
日本の国益なんて関係ないんでしょ?
北朝鮮が攻撃してきてもいいんでしょ?
アメリカが守ってくれなくてもいいんだよね?
テロの標的になっても、覚悟はできるんでしょ?
それでも誇りを持って戦争反対を声高らかに叫ぶよね?
殺すくらいなら殺される方がマシなんだよね?
アメリカでは何もしない奴は腰抜けって言われけど、
でも日本人なら、何もしないことが美徳だよね?
相当の覚悟で何もしないんだよね?
これが侍魂だよね?
被爆国の勇気だよね?
え? ちがう?
音楽家が社会的なメッセージを発することはカッコ悪いとか、音楽にメッセージ性を持たせるのは邪道だ。若い頃はそう言って憚らなかった「教授」も、年をとった今じゃあこうだよ。 先生もこういうのやりたかったけど、もう間に合わないね。
初めてなの…やさしくしてね
「初めてなのでよろしくお願いします。」 「こちらのやり方に合わせますので教えて下さい」 「あのー、いつもはどうやって・・」
この国に連れてこられてからの先生は、知らない病院に派遣されるたびにこんな感じです。しかし、そこんとこよろしくって言っても、相手は先生が何を知らないか知らないから、今ひとつ歯車が合いません。
「先生、帰っていいですか?」
不思議な病院だ。手術室の看護師は、いちいち帰るのに翡翠科医の許可を得るのだろうか?しかも、相手はヘルプの見知らぬ翡翠科医なのに。
よく分からないまま、生半可な返事をして部屋を出ると、さっき先生が翡翠から醒ました患者さんがまだ居るではないか?何やってんの?
あっ!そうかっ! 帰っていいかというのは、この患者さんが病室に帰っていいかどうかということだったのだ! でもなんで?さっき先生は帰していいって言ったでしょ!
祖国の皆さん、こっちの国では、まだ「回復室」という習慣が残っているんですね。先生は手術室で帰っていいよ宣言をした後、「回復室」でもまた帰っていいよ宣言しなければならなかったのです。
【回復室】ー翡翠から醒めた患者さんを病室に帰す前に少し観察する部屋のこと。しかし、昔と違って、翡翠薬の切れ味は圧倒的に良くなってますから、今ではあまり見かけません。っていうか、先生、話には聞いてましたが、こっちに来て初めて見ました。まあ、悪くないシステムなんですが・・ちょっとマターリですね。
灯台もと暗し
である調
分担執筆本の依頼原稿には必ず記述要綱というのがあって、医学本の場合、大抵はその冒頭に
・横書き口語体、「である」調とする
と書いてある。さらにその本が、医学生や研修医向けを狙っている場合だと、
・分かりやすく簡潔で短い文章で
なんて書いてある。
これが先生を悩ませ、執筆を遅らせる一因となっている。
先生が得意なのは、「ですます」調とギコ調(例:( ゚Д゚)ゴルァ!)であり、しかも、冗長な一文が大好きである。
そこで以下、「である」調を用い、メインコンテンツとされている「スミルノフ教授の日記」にどのような影響を与えるか検討した。
灯台もと暗し
「いやー、『灯台もと暗し』ですよねー」
私は、自分の耳を疑った。2チャンネラーのローリーの口から、そんなまともなことわざが発せられるわけがない。一瞬、それは新しい2チャンネル用語なのだろうと思ってしまった。
「ホントは何て言うんだっけ? 『灯台もとくろす・・』か何かだっけ?」
「先生、何バカなこと言ってんですか。『灯台もと暗し』は『灯台もと暗し』ですよ」
ローリーにバカにされるとは、私も地に堕ちたものだ。このところの2チャンの見過ぎで、どっちが正常な日本語なのか分からなくなっているらしい。執筆業として致命傷である。
しかし、私から自然に発せられた「灯台モトクロス」、これは結構イケル言葉ではないだろうか。私はさっそく、Googleにこの言葉を打ち込み、検索を試みた。
ところが、意に反して想像を絶するヒット率であり、珍しくも何ともない普遍的な言葉であることが判明した。どうやら、同名の有名なバイク関係サイトがあるらしい。その間、「灯台モト冬樹」という言葉も見つけ、愕然とした。自分のボキャブラリーなんて極々平凡なものであることを思い知らされた一日であった。
考察:本来「日記」とは、読者を想定せずに、単に日々の出来事を綴った文章に過ぎない。今回、「である」調を使用したところ、くだらない平凡な日常を綴った、第三者が読んでも面白くない本来の日記の形を取り戻した。このことは、無理やり「ですます」調を使ったり、一人称に「先生」を使ってきたこれまでの「スミルノフ教授の日記」は日記とは言えないことを示唆している。
付記:「灯台もと暗し」という諺は、日本に初めて灯台が建設される前から存在することから、「灯台」とは、岬にある灯台のことではなく、油や蝋燭の灯りをのせる台のことだと考えられている・・・と、最後はいつものインテリぶった先生に戻ってみましたよぉ。
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