2015/10/28

主訴:鼻が低い

診察室に入ってきたのは明らかに不機嫌そうな顔をした、やせ細った老女である。

「今日はどうしました? どこが悪いのですか?」

「どこが悪いってかい、ちょっとせんせー、聞いてよー、あたしってさあ、女ばっかりの三人姉妹なのね、ところがその中で一番ブサイクで生まれてさあ、どこが悪いってかい、よくぞ聞いてくれたよ、ほんと、どこが悪いかって、ちょっとこれ見てくれる?」

そう言いながら女性はマスクを外した。

「これよ、これ、この鼻が低いのよー、それでねー、そのことに気づいたのは中学校の美術の授業があってさあ、そのとき授業で自画像を描いたのね、あたしはそのとき鏡を見てさ……」

ここで私はカルテに「主訴:鼻が低い」と書いた。

「たいへん申し訳ありませんが、鼻が低いのは私の専門外ですね。それは形成外科になります。もしすでに形成外科にかかっているのであれば、私は他科の医師の治療方針には口を出さない、というのが信条ですし、もしもまだかかっていない、というのであれば、しかるべき形成外科医に紹介状を書くこともできますが……」

「ちょっとちょっと、そういうことじゃなくてさ……」

「はて、そういうことじゃない、ではいったいどういうことで?」

「それがさあ、こないだちょっと風邪気味でね、それで夜間救急外来にかかって3日分ぐらいの薬を出してもらったんだけど、よくなるどころかますます具合が悪くなってきてさ、熱は下がらないわ、のどはどんどん痛くなってくるわ、痰が出るようになってくるわ、その痰がだんだん黄色から緑色になってくるわ、しまいには耳からも汚いウミが出るようになってきて、ゴハンも食べられなくなって……」

ここで私はカルテの「主訴:鼻が低い」を消して「主訴:耳漏」と書いた。

「それはまずいですね、扁桃腺炎から滲出性中耳炎を併発したのかもしれません。いずれにしても、そこまでいってしまったらもう私の専門外です。それは耳鼻咽喉科になりますね。もしすでに耳鼻咽喉科にかかっているのであれば、私は他科の医師の治療方針には口を出さない、というのが信条ですし、もしもまだかかっていない、というのであれば、しかるべき耳鼻咽喉科医に紹介状を書くこともできますが……」

「そうなのよ、だから早く耳鼻科に行きなさいって言ったのよ、ミチコに」

「ミチコ?」

「そうそう、あたしの高校の同級生のミチコさぁ。もうほんとみんな年寄りになっちまって、誰に電話しても病気の話にしかならないのよ、ほんとこっちまで具合悪くなってくるよ」

「あ、そういうことですか。で? 今日はどういうことで?」

「それがさあ、ほら、超音波ってやつ? あれをやってもらったらさあ、膵臓ガンだっけ? 肝臓ガン? ほら、川島なお美がなったみたいなやつ、あれ、なんてったっけ?」

「ひょっとして胆管癌ですか?」

「そうそう、それ。それの疑いがあるって言われちゃってさあ」

ここで私はカルテの「主訴:耳漏」を消して「主訴:胆管癌疑い」と書いた。

「それは心配ですね。しかし、もしそうであれば、私の専門外ですし、すでにそっちの方面の医師にかかっているということであれば、私は他科の医師の治療方針には口を出さない、というのが信条ですし……」

「あれって見つかったって治らないんでしょ?」

「そ、そうですね、まあ予後が良い病気とはいえませんが、私は他科の医師の治療方針には口を出さない、というのが信条ですし、詳しいことはその医師に聞いてもらうのが一番ではないかと……」

「いやー、心配だわー、マサコ」

「マサコ?」

「そうそう、あたしの高校の同級生のマサコさぁ。もうほんっと誰に電話してもあっちもこっちも病人であさあ、こっちまで具合悪くなってくるよ。テレビつけたって川島なお美がガンだとか北斗晶がガンだとか病気の話ばっかりでさあ」

「は、はあ。で? 今日はどういうことで?」

「だからといって芸能ニュースやめてNHK入れったてさあ、今度は茨城でやれ洪水だの、中国で大地震だのそんな暗いニュースばっかりでしょ、もうそういうのばっかり見てると、ほんとこっちまで具合悪くなる一方だよ」

ここで私はカルテの「主訴:胆管癌疑い」を消して「主訴:天変地異」と書いた。

「んー、さすがにそういった地球規模の自然現象は私の専門外なのでどうすることもできませんね。私は神様の方針には口を出さない、というのが信条ですし、詳しいことはあなたの信じる神様に相談するのが一番ではないでしょうかね。で、信じてる宗教とかあります? だめもとで紹介状でも書きましょうか?」

「いや、今日はトローチだけ少しもらってくわ。のどがちょっと痛くてね」

「そんだけしゃっべてたら、のども痛くなるわ。いつもの薬はまだあるよね?」

「うん、来週なくなるからまたくるよ」

そう言うとカヲリさん(81歳女性)はすくっと立ち上がった。

カヲリさんは私がみている慢性閉塞性肺疾患(COPD)の患者で、半年ほど前に急性増悪で一ヶ月ほど入院した。私は専門外なので、しかるべき呼吸器内科医にみてもらったほうがいいとすすめたのだが、家が近所だし、どうしてもここがいいというので、仕方なく入院させて、知り合いの呼吸器内科医に相談しながら、なんとか退院にこぎつけた。その後は禁煙と、長時間作用型抗コリン薬吸入のおかげで元気に暮らしている。

すっかり病状が安定した今は、毎回ひと月分の処方をしているので月一回の通院でいいのだが、カヲリさんはなにかと理由をつけて、結局は毎週のように来る。

「しかしカヲリさんのその立ち上がり方は見事だね。とても81歳にはみえない。背筋もきれいに伸びているし」

「そうなのよ、姿勢がいいところだけは母親にほめられたの、あたし」

母親の話が出たところで、カヲリさんはさっきの一番最初の話を思い出して、その続きを話し始めた。

「でね、その自画像を描いたときにね、あたし母親に泣きながら文句を言ったの。どうして三人姉妹のなかであたしだけ鼻が低いのかって」

「うんうん」

「そしたら母親がすっごく怒ってさ、あんたね、目が見えないわけでもない耳が聞こえないわけでもない、腕が無いわけでもない足が無いわけでもない、五体満足で生まれてきて、それはものすごく幸せなことで、感謝しないといけないぐらいなのに、そんなくだらないことで文句言ってたら、あんたバチが当たるわって。なんか最近、そのことを思い出してさ、なんでもかんでも悪い方に考えてちゃいけないなあって思ったの」

「なるほど、そういうことを言いたかったわけね」

「うん、そうそう」

カヲリさんが元気に帰っていったあと、事務長が苦笑いを浮かべながら入ってきた。

「先生、さっきの若い男性、怒りまくってお金払わないで帰っちゃいましたよ」

それはカヲリさんの前にみた若い男で、微熱とちょっと腹具合が悪い程度だったのだが、妙にウイルスの名前に詳しく、インフル、ノロ、ロタ、アデノ、その他全部の検査をしてください、と無理なことを言う患者だった。

結局インフルエンザだけ簡易テストを行ったが案の定陰性で、どうやって説明しようか考えているうちに、突然「小児科では全部検査するだろ」などと大声で怒り出し、勝手に診察室を出ていった。診察の途中で勝手に出て行ったのは彼のほうなのに、「この病院は薬も出さねえのか」と窓口で恫喝したそうである。

「先生のこと、あいつ医師免許持ってるのか、って怒鳴ってましたよ」

「そっか、医師免許見せろ、って言われなくてよかったね、ははは」

本当に医師免許見せろって言われたら危なかったな。

そうなったら、ここをやめて、また名前を変えてどこか働き口を探さなければならないところだった。

とてもそうは見えなかったけれど、ひょっとしたら俺を探しているSVRの息がかかったKGBの残党かもしれないからな。用心しないと

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2018/07/17

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