2018/01/16

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2013/08/12

続々々・教授の真夏

「ど、どちらさまですか?」と書いたところで、わたしはほとほといやになっていた。いったい誰が読み続けてくれてるだろう。こんなもの、わたしだって読み返さないかもしれない。だが、そもそも読者など気にせずに自由に書きたいという望みから始めたことではなかったのか。それならば、誰が読もうが読まぬが、関係のないことではないのか。

どちらにせよ、乗ってしまった船から降りることはもはや不可能だった。読者からは自由になったのかもしれぬが、こんどは自分の文章そのものに束縛されてしまい、わたしは意に反していやいや書き続けるはめに陥っているのであった。

二人の男は刑事だった。坊主頭のオヤジが捜査一課の、ノッポの若造が所轄署の刑事だと名乗った。

「この男をご存知ですか?」と、オヤジデカが差し出した写真の顔に、まったく見覚えはなかった。わたしは知らないと答えて、首を横にふった。

「では、周布稔という名前をご存知ですか?」とオヤジが言った。

その瞬間、わたしはからだを石膏のようなもので固められてしまったかのように動けなくなった。わたしの思考回路は完全に停止し、どうしてその名前が見知らぬ刑事の口から発せられるのか、その疑問を解決しようとする第一歩さえ踏み出せないでいた。

「ご存知のはずだ。周布稔、という名前を検索したら、あなたのブログしかヒットしないのだから」とオヤジデカは言った。

わたしの鼓動はわたしの意識とは無関係に高鳴り、どんなに努力しても思考回路は相変わらず止まったままだった。

わたしはやっとの思いで、以前からスミルノフというハンドルネームでブログを書いていたこと、最近、スミルノフのアナグラムから周布稔という名前を考えだし、実はその男がブログを書いていた、という設定を思いついたことを正直に話した。

「へえ、アナグラムねえ」と、オヤジデカの隣でメモをとっていた若造デカが初めて口を開いた。

「ええ、実はわたしの本名のアナグラムでもあるんですよ」と、わたしは笑ってみせたが、きっとひきつった笑顔だったに違いない。

「それでは、周布稔はあなたの創作による、全く架空の人物だというわけですね」とオヤジデカが言ったので、わたしはそうですと答えた。

すると、ボールペンで手帳を軽く叩きながら若造デカが、「偶然にしては出来すぎてやしませんかねえ」と誰にともなく言った。

わたしはなんのことか分からず、ただ黙ってうつむくしかなかった。オヤジデカはまあまあという仕草で若造デカを制すると、さきほど示した写真を指して言った。

「その写真の男が周布稔です」

ほんとうに見覚えがないかともう一度念を押されたが、わたしはもうなにがなにやら全くわからなくなっていた。

「周布稔は8月4日の夜、市内の映画館のトイレで死体で発見されました。われわれは彼の両隣の座席に座っていた男と女の行方を追っています」と、オヤジデカは説明した。

「えっ」という短い驚きの声を飲み込み、わたしはもう一度写真の男の顔を見た。なんの特徴も無く誰が見ても記憶に残らない顔である。見たことのない顔、いや、見ているのだが単に忘れてしまっているのかもしれない。そのとき、わたしは突然まるで夢のなかに居るような感覚におそわれた。わたしは自分の書いた虚構の世界に取り込まれてしまったのであろうか。ならばどうして、わたしの生み出した周布稔の顔が、わたしの記憶に残っていないのであろう。それともここは、わたし以外の誰かが考えだした虚構の世界なのか。

わたしは現実感を喪失しかけている自分に対して、夢の中の自分にこれは夢だと言い聞かせるように叱咤し、現実に存在する目の前の二人の男たちに集中しようと努力した。この男たちは、誰かの差し金で自分を騙そうとしているのかもしれないのである。

「おかしいですよね。思いつきで考えだした、こんな珍しい名前が、殺された実在の男の名前と一致するなんて」と若造デカが言った。

オヤジデカはまた若造デカを制するような仕草を見せたあと、「8月4日の夜は、どちらにおられましたか」と訊いてきた。

「日産スタジアムにいました」とわたしは答えた。
「それを証明できるものをなにかお持ちですか。たとえばチケットの半券とか」とオヤジデカが言った。
「半券と言わましても……」

8月4日の半券はライブ中に放水を浴び、びしょびしょに濡れて皺くちゃになってしまったので、引き延ばすためにどこかに挟んだはずだった。いつもならこういう半券は日記帳に貼って大事に保存するのだが、こういうときに限って何に挟んだのか思い出せない。

わたしは、「これではダメでしょうか」と言いながら引き出しからパンフレットを取り出した。

「ちょっと拝見しますよ」と言って、若造デカがそれを受け取った。A4サイズで100ページちょっとのパンフレットである。

若造デカはパンフレットをめくり、「おーおー、手書きメッセージじゃん」などと言いながら、それを丹念に読み始めた。
「おーおーオズフェストのときの写真じゃん。おーおーインタビューインタビュー」

やがて、若造デカのパンフレットをめくる手が突然止まり、「あのぅ……」と言うと、若造デカは哀願するような目でわたしを見た。「ここはまだ開けないんでしょうか」

若造デカは、袋とじページに人差し指を突っ込んで、それを破るような動作をしていた。

「やめてください。そのまま保存するんですから」と、わたしは慌てて若造デカを制した。

「そっかー、見たいなあー」若造デカは折れないように袋とじページを円柱状に丸めて、片目で中を覗き始めた。

そのとき、パンフレットから一枚の紙片がひらりと床に落ちた。それを拾うと、若造デカはオヤジデカと目配せをした。それは8月4日のチケットの半券だったのである。

若造デカは、「なんかで読んだみたいな展開だなあ」とつぶやきながら、その半券をオヤジデカに手渡した。

「あの、それで解決でしょうか」と、わたしは恐る恐る訊いた。

だが、ほっとしたのも束の間、わたしは再び愕然とすることになる。オヤジデカは、
「うーん、残念ながらチケットの名前がね、あなたの名前じゃないなあ、これ」と言って、それをわたしに突き出したのである。

「すいません。どうしてもチケットが手にはいらなかったので、仕方なくオクッたんです」とわたしは言い訳をした。二人はうーんと唸りながら、首をかしげている。

「あの、犯罪になるでしょうか」とわたしは訊いた。

「本人確認をよくすり抜けたなあ」と若造デカが言ったが、わたしはこれ以上墓穴を掘るのを恐れて、それに対しては何も言わずに情けない笑顔で返した。

「まあ、褒められたことじゃないが、それはわれわれの仕事じゃないのでね」とオヤジデカは言った。わたしは一瞬安堵したが、ふと我に返って、こんなことよりももっと重大な嫌疑がわたしにかけられていることを思い出した。

「これでは証明になりませんね。当日、あなたが日産スタジアムにいたことを証明してくれる人は誰かいませんか」とオヤジデカが言った。

「思い浮かびません。ボッチノフなものですから……」

二人は憐れむような目でわたしを見た。

「では、当日のコンサートの内容で、印象に残っていることはありますか」とオヤジデカの尋問は続いた。

わたしは焦っていたので、考えもなしに思いついたことをすぐに口に出してしまった。
「えーと、えーと、あ、まさかあそこでmiwaといっしょに反抗期やるとは思いませんでした」そう言った瞬間、しまった、と思った。

「それは8月7日のことでしょ」と、若造デカがすかさずつっこんだ。わたしは、なぜこの若造デカが派遣されたのかがだんだん分かってきた。

「あー、すいません。勘違いでした。あー、そうだ思い出した。れにちゃんがビール瓶を頭でかち割っていました」とわたしは取り繕ったつもりだったが、
「それは8月11日です」と、ものすごい反応速度で若造デカのツッコミが入った。
わたしはもう、シドロモドロになり、過去の記憶の時系列がめちゃくちゃになっていた。

「えーと、見てから決めろー」
「そりゃずっと前だ。5月だよ。5月11日!」

焦りと苛立ちででわたしは混乱を極め、もう何も思い浮かべることができなくなった。

若造デカは、はあ、とひとつため息をついたあと、
「ブログを拝見しましたが、あなたはれにちゃんスカート脱ぎすぎちゃった事件に言及してますね。あれは日産スタジアムにいる人には遠目で分からなかったはずだ。あの事件をリアルタイムで知ったのは、映画館でライブビューイングを見ていた人に限られる」と言った。

また痛いところをつかれた。「それは、後からネットで知ったのです」と応戦してみたものの、それでわたしが日産スタジアムに居たことを証明できるわけではなかった。わたしは途方に暮れていた。

しばらく沈黙の時間が流れたが、それはオヤジデカの咳払いで破られた。

「えへん。では、もうひとつ伺いましょう。イープラスに問い合わせたところ、周布稔の隣の席のチケットの名義は、あなたの名前になっていたのですよ!」
オヤジデカは人差し指を立ててわたしに向けた。

はめられた、とわたしは思った。これはきっと、目に見えない誰かが仕組んだ罠だ。それとも、わたしは本当に犯人で、その記憶をすっかり無くしてしまっているのだろうか。よく分からなくなってきた。そもそも、わたしは誰なんだろう。気がつけば、それさえもあやふやになっている。

そのとき、「観念しなさい!」と若造デカが一歩近づいて、わたしに人差し指を突きつけた。

「犯人はあなたです! 古野寿美子さん!

ふ・る・の・す・み・こ?」わたしは口に出して復唱してみた。それがわたしの名前なのか?

「ど、動機は?」と、わたしは苦し紛れの抵抗をみせた。

「ふふふ、動機もすべて分かっていますよ」と、若造デカはまるで名探偵が最後の謎解きをするかのように語り始めた。

「あなたは学生時代、当時音楽家を目指していた周布稔と出会って恋に落ち、結婚した。稔は海外の音楽大学に留学することが決まっており、あなたにも一緒についていくことになっていた。ところが日本を発つ直前、あなたの妊娠が判明する。つわりがひどかったことに加え、見知らぬ海外の町で出産することに不安をおぼえたあなたは日本に留まることを決意する。しかし、あなたの期待に反して、稔は妊娠を喜ぶどころか、大事なときに余計なことをしでかしたといわんばかりの冷たい態度だった。それから二人の仲は急速に冷えていった。稔は単身で海外に渡り、あなたは稔の実家に義父母といっしょに住みながら子育てをした。だが、しだいに孤独感を強めることとなる。そんなとき、たまたま友人の結婚式で久しぶりに会った元上司と意気投合する。そして、恋仲になってしまう。稔は一年後に帰国したものの、冷えきった関係は修復されず、あなたは元上司との密会を続けた。そしてあなたは再び妊娠する。だが、稔はそれが自分の子どもではないことを見抜いていた。あなたはすぐに周布家を叩きだされ、離縁され、第一子の親権も剥奪された。その後すぐに稔は再婚し、その第一子はあなたが本当の母親であることも知らずに育っている。あなたは自分の腹を痛めて産んだその子のことを……」

「ちょっと待った」と、オヤジデカが遮った。「それって、こないだ警察署に誰かが忘れてって、みんなが回し読みしてた小池真理子の小説じゃね?」

若造デカは虚を衝かれて一瞬黙ったあと、「おやおや、お読みでしたか、あはははは」とごまかし笑いをした。

「しかもそれってミステリーじゃねえし、殺人も起きねえし」とオヤジデカは呆れるように言った。

「でも、あれって、なんだかいいですよね、あはははは」と若造デカが取り繕った。

「変なやつですいません、あはははは」とオヤジデカがわたしに向かって愛想笑いをした。

わたしもよくわからないけど、「あはははは」と笑った。

「あはははは」「あはははは」「あはははは」と、三人の虚しい笑い声が静まり返った闇夜に消えていく。え、これで終わりなの? わたしを生み出した神は相変わらず飽きっぽくて、面倒くさがりで、無責任極まりないな、と寿美子は思った。

教授、真夏の方程式で号泣す

■その1 千歳編
■その2 機内編
■その3 大宮編
■その4 再び機内編
■その5 神戸編
■続・教授の真夏
■続々・教授の真夏
■続々々・教授の真夏
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