うんこと芸術
けさ、バスターミナルのトイレに入ろうとしたら、思わず後ずさりしてしまった。
そう、便器にこんもりとうんこが残されていたのである。
いったい彼はなぜ、流すという簡単な行為を行わなかったのだろう。
あれこれ考えたが、結局、私の納得できる理由はこれしかなかった。
そう、彼はこの自分のうんこを「すごくいい」と思ったのである。
誰かにも見てもらいたい、とはっきり意識したとまでは言わないけれども、 少なくとも、あまりにも良すぎるので流してしまうに忍びなかったのであろう。
だが、往々にして、自分が良いと思ったうんこをそのまま他人に理解してもらうことは不可能である。
彼がすごく良いと思ったうんこも、私にとっては目を背けたくなるような代物だったのだ。
そういう意味では、うんこと芸術はよく似ている、といえるかもしれない。
WHOPOOPED.ORG
いろんなウンコで形どられた「POOP(うんこ)」の文字が美しいWHOPOOPED.ORGは、文字通り「誰がウンコしたのか」を当てるウェブサイトです。
見知らぬウンコを提示され、そのウンコがダチョウ、キリン、シマウマのいずれのものであるかを解答します。正答か否かは、彼らの食生活について学んだあとに判定されます。
晴れて3問を終えますと、あなたはウンコエキスパートとして認定され、こんな素晴らしい認定証もくれます。
また、このサイトを作ったと思われるミネソタ動物園の入園料割引券が手に入るし、本物のウンコエキスパート(飼育係)のビデオなども見ることができます。今日は日曜日なので先生はさっそく割引券を手に、ちょっと車をとばしてミネソタまで行ってくることにします。
歌詞の涙をウンコに変える
お便りをいただいたのでやってみますね。
先生もやってみますね。
ねぇ どうして すごく愛してる人に
愛してると言うだけで ルルルールルー
ウンコが 出ちゃうんだろう
これは先生の場合、十分あり得ますね。もうひとつ。
レシーブ トス スパイク
ワンツー ワンツー アタック
「だけどウンコがでちゃう 女の子だもん」
(追記:失礼、↑は既出でした)これは昔ボキャ天で、X-GUNが「涙」を「何か」に変えてやってました。
先生は昔、なぎら健壱が好きだったので、「涙」を全部「なぎら」に変えて歌っていたことがあります。だけど、なぎらが出ちゃう。コートの外でスタンバイしているなぎら健壱が目に浮かびます。
お便りくださった方、ウンコーのーリクエーエーストありがとうございました。
スペイン・カタルーニャのクリスマス排便人形
落ちぶれるばかりの当サイト、伝統のうんこ記事も久しくアップしていません。先生と当サイトにとってはさっぱりの年でしたが、クリスマスシーズンを迎え、何とか年末だけは盛り上がっていきたい。そんなところに実にタイムリーな人形の写真を発見して嬉しくなりました。ブッシュもオバマも仲良く排便です。
で、またまた趣味の悪い海外ネタサイトが発信源かと思いきや、ヨーロッパの有名な新聞や雑誌が特集しているではありませんか!
■幸ウンを呼ぶ? バルセロナ伝統「排便人形」各国政治家版 写真4枚 国際ニュース : AFPBB News
■ El Caganer: (S)catalonia's Fecal Christmas Festivities - SPIEGEL ONLINE - News - International
いやあ、先生は知らなかったんで驚きました。これはスペインのカタルーニャ地方に伝わるカガネ(Caganer)という排便人形で、イエスやマリア、3人の賢者のベレン人形や、Caga Tió(これまた糞オヤジという意味らしい)という人形などとともに、クリスマスが近づくと飾られる伝統的文化なのだそうです。
チャベスです。
ブラウンです。
メルケル首相まで! でも、伝統品と聞くと、相手がご婦人でも不思議と失礼に感じませんよね。
サルコジ。もう排便サミット!
ちなみにサルコジはやはりカーラさんとペアがお似合いです。
もちろん先生は結論として、人種を問わずうんこは同じ、うんこは平等と平和の象徴だと言いたかったのですが、先生なんかがここでそんなこと言うだけ無駄、そもそもこの伝統品の由緒は、そういうところにあるようです。
犬のうんちを翻訳する
はいはい、くだらない画像好きの先生がきましたよ。どれどれ、ああ、どれもこれもくだらない、笑えないね、どっかで見たことあるのばっかりだし。と、油断した瞬間、先生は不覚にも右肩破裂してしまいました。これで。
うわさには聞いていましたが、バウリンガルって、ここまで見事に犬の言葉を翻訳してくれるんですね。先生、参りましたよ。
で、先生は、去年のクリスマスに素晴しいクリスマスプレゼントをくれた、あのワンちゃんを思い出しましたよ。
なぞのうんこゲーム
そろそろ脳内メーカー検索の知らない人たちも去って、いつもの読者諸君がきている頃でしょうか。じゃあ先生もいつもの先生に戻りますね。ということで、ハングルでよくわがんねーけども、なんかうんこ指カンチョーゲームです。うんこかぶらないように気をつけてね。
うんちドカーン
当サイトのエントリー元気さしあげます ササヘルスやササヘルスパンダにまつわる様々な話で紹介してなかなか好評だったあのパンダの話のさらに続きなんですけど、そのササヘルスパンダにまつわったgizmyさんの、gizmyのウラ日記 - ササヘルスその後。によりますと、なんと驚くべきことにあのパンダがたいへんなことになっているというではありませんか。いやー、びっくりしました、さすがの先生も腰が抜けちゃいましたよ。
で、終わりたかったんですけど、gizmyさん、写真ないじゃないっすか。しかも先生に撮りに行けと言ってるじゃないですか。あんまり気がすすまねーな。でもちょうど床屋行く途中だしさ、ついでに撮っていくか。でもなー、ほら、先生は鳥とか虫とかやっぱ被写体は自然がメインじゃないっすか。街中で写真撮るの慣れてないんっすよ。あんね、50近いオッサンがカメラ抱えて街中歩くのってヤバイですよ。絶対あの人怪しいとか思われるんですよ。
でも我慢して行きましたよ。ほーら、例の薬局、見えてきました。あんまり薬局に近づいて撮る勇気もないですからね。用意したのはデジ一眼に200mmズームです。ズームレンズを思いっきり伸ばしてカメラを構える先生、ところが何か視線を感じるんですよね。あろうことか、先生の立っていた場所はスイミングスクールのまん前です。しかもちょうどレッスンが終わった時間らしく、親御さんたちが我が子を迎えに殺到しているところだったんですよ。もういかにも怪訝な顔で先生を見る母親たち、我が子を握る手にしっかりと力が入っていたのを先生は確認しましたよ。
で、さっそく、つーか全然さっそくじゃないですけど、その写真、お見せしますね。
で、パンダはどこに行っちゃったのって話なんですが、よく見ると、
ほら、足元にタヌキと仲良く並んでいました。
と、こういうエントリーは、写真だけドカーンと出して、言葉少なに去るに限るんだけど、だって余計なこと付け加えちゃうと台無しですからね。例えば、うちの世界的奥さんの発言、
「だって梅雨だもん」
だよねー、梅雨にぬいぐるみ出しっぱなしじゃあ、ぬいぐるみが重く湿っちまってどうしようもないよねー、つーか、えらい現実的なエントリーになっちまうでしょ。
で、カメラ抱えたままトボトボと床屋に行ったわけです。ちなみに先生は床屋さんにあまり話しかけられるのが嫌いです。でも、こんなでかいカメラ抱えて行くんですよ。絶対話しかけられます。
「高そうなカメラっすねー。何撮ったんですか?」
まさかそこで「うんちドカーン」とか答えるのもめんどくさいじゃないですか。先生は床屋ではひたすら瞑想していたいんです。もちろんとても高尚な瞑想です。例えば今日はこんなことを考えました。磯野波平氏は床屋に行ったときまず何て言うんだろう、とか、そういえば昔、陰毛の美容院のサイトがあって、お客様の許可を得て写真なんか載せちゃってたよなあとか……。
自分のうんこ臭が平気な本当の理由の考察
これから先生が考察する問題は以下の2点である。
1)他人のうんこ臭は不快なのに、自分がうんこしているときはどうして自分のうんこ臭がそんなに嫌でないのか。
2)うんこしているときには気にならなかった自分のうんこ臭ではあるが、一度トイレを出てからまた戻ると、まるで自分のうんこ臭が他人のそれのように不快に感じるのはなぜか。
この問題に関しては、4月1日に「ウンコはどれぐらい、人に精神的ダメージをあたえるのですか?」というエントリーをあげた。これは全くのウソ記事ではあるが、別にエイプリルフールだから書こうと思ったわけではなく、たまたま昔書いたものを公開したに過ぎない。うんこ臭の話をよくあるリセプターとアゴニストの話に置き換えたらどうかなと、軽い気持ちで臨んだものである。結果的には、例えば「村上春樹風に語るスレジェネレーター」に「うんこ」と入力して出来上がったものとそう大差ない作品なんである(村上春樹風にうんこについて語るスレ)。
しかし、このウソには限界があった。それならば出したてのホヤホヤのうんこなら、たとえ他人のうんこでも平気ということになるではないか。先生は、この反論に、さらにウソを積み重ねて答えようと試みた(自分のうんこの臭いの話の続き(うその上塗り))。本当は、あらゆるサブタイプのベンドルフィンやベントキシンに親和性のあるμベンピオイド受容体を持っている人がいて、そういう人がスカトロに走るのだとか、さらに延々と自説を展開する予定ではあったのだが、なんだかめんどくさくなってきたので、この辺でまじめに考察してみることにする。
とはいっても、先生は別に嗅覚に関する科学論文を読んでいるわけではないし、どうやらウェブ上にもまともな情報源はあまりない。そこでここは、日本で唯一といってもよい嗅覚生理学の権威、外崎啓一教授の著書を手がかりにする。非常に面白い本なので、うんこファンならずとも生理学に興味のある方にはオススメの良本である。
最初にあげた問題を解決するヒントとして、先生がこの本から抽出したポイントは以下の3点である。
1)うんこ臭の本体はスカトールという物質である。実は鎮静・抗うつ作用が確かめられているジャスミンの良い香りの本体もスカトールである。ジャスミンが良い香りに感じられるのは、単にスカトールの濃度が低いからである。
2)嗅覚は同じ臭いに対してすぐに耐性が生じてその臭いに慣れてしまう(本書では「同じ臭いに対する嗅覚は疲労する」と表現されている。
3)嗅覚はかなり長い時間に渡って記憶される。
うんこ臭とジャスミンの香りが同一であるということはかなり有名な話なので、ご存知の方も多いと思う。単に濃度の違いの問題なのであるから、うんこ臭を良い香りと感じる場面があっても別に不思議な話ではないのだ。これはネットから得た情報だが、3歳児の大半は糞便の匂いを「快適である」と反応するという研究もあるそうで、この反応は成長とともに激減していくらしい。子どもの多くがうんこ好きなのもうなずける話である。
さて、先生の考えたストーリーはこうだ。まずトイレでうんこをする。徐々にうんこ臭が漂うわけだが、最初はその濃度が低いはずだ。すなわちジャスミンの香りなんである。不快に思うどころか、排便したという快感と相まって逆に落ち着いた気分にさえなる。うんこ臭の濃度はどんどん増加するが、嗅覚は同じ臭いに対してすぐ疲労するので慣れが生じる。ある程度うんこ臭が強くなってきても、まだ自分にとってはジャスミンの香りであり続けることができるのである。ましてや自分のうんこの臭いは長年に渡って何度も自分の脳に記憶として刻み込まれており、脳も自分のうんこ臭に慣れているのである。
ところがいったんトイレを出てうんこ臭から離れると、嗅覚の疲労は回復する。この状態でトイレに戻り、いきなり濃度の高いうんこ臭を嗅ぐと、たとえ自分のうんこ臭といえども、脳の記憶を凌駕してしまい不快に感じてしまうのではないだろうか。
しかし、この説明でも、やはり出したてでゆっくり臭ってくれば、他人のうんこも平気なような気がする。そこは、食生活や体質の違いによって修飾された自分のと違う臭いに、やはり脳が慣れていないからということで説明できないだろうか。
不完全燃焼のまま話が変わって申し訳ないが、外崎教授の研究に、臭いと体内の抗酸化物質の関係に関するものがある。芳香は抗酸化物質を増加させるというデータは、良い香りがストレスを癒すというアロマテラピーの科学的根拠として評価されるデータだ。ところが話はこの先が面白い。芳香による抗酸化物質の増加は一時的なもので、あまり長く続かないそうである。逆に嫌な臭い(むれた靴下の臭い)を嗅ぐと、抗酸化物質は減少しそうなものだが、それほど減少しないそうである。それどころか、嫌な臭いから解放されたときの抗酸化物質の増加は、良い香りを嗅いだときよりもむしろ大きく、長く続くんだそうである。この話はDIMEのインタビューでも詳しく書かれていたのを読んだことがある。
この話が本当だとすると、心地よい香りを嗅いでから仕事にとりかかるよりも、強烈なうんこ臭を嗅いでから仕事をした方が能率が上がるんじゃないだろうか。そして、それが本当のアロマテラピーなんじゃないだろうか。うんこ臭には、まだまだ解決すべき謎と期待すべき役割が隠れているような気がしてならない。
- 教授御尊顔
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