2017/10/09

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2017/08/30

スティックのり ♀

スティックのり♀

「スティックのりって何?」とカミさんは訊いた。

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2017/08/18

イ為ンスタ

インスタグラムヘッド かにいなり寿司 インスタフット
suemesmirnoff 昼飯。#新千歳空港では#生ハムdeお寿司を食おうと思っていたのだが、どこで売っているのか下調べしてこなかったので、仕方なく#かにいなり寿司を食う。
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2013/05/01

マスイさんパクリ疑惑www

ローリーが自分でデザインしたキャラクター、「マスイさん」をフェイスブックに公開して自慢していた。

マスイさん

おそらくローリーはこのデザインを全国的に某科のマスコットキャラクターとして売り出し、ひと儲けしようと企んだに違いないのだが、石川県に住んだことのある男性が、「石川テレビ放送のマスコットキャラクター"石川さん"のパクリではないか」とフェイスブックにコメントしたことから、疑惑が急浮上している。

■石川テレビ放送‖石川さんの穴‖
石川さん

今回の疑惑について大手掲示板では、「なんとなく似てる程度ならいいがコンセプトがモロパクリじゃダメだろ」「これはひどい」「それにしてもここまでだと苦しいな」といった批判が多いが、「作品がオマージュなら致し方ない」と擁護する声もあった。

ここで告白するが、実は私、このマスイさんというキャラクターが誕生した瞬間を、偶然その現場で目撃していたのだ。そのような立場であるから、いろいろ悩んだ末、やはり自分の道徳心を騙すことはできないと決断し、勇気を出して今ここで内部告発しようと思う。それでは検証していこう。

マスイさんプロトタイプ

これがまだコンセプトが未完全の段階でローリーがホワイトボードにラフスケッチしたマスイさんである。いわばマスイさんのプロトタイプだ。

マスイさん原案

そしてこれがほぼ完成したマスイさんである。anesthesiologyと記載されていることから、「マ」は「マスイ」の「マ」を意味している、ということがうかがえる。

これだけならば、まあ誰かが考えそうな発想ではあるし、偶然似ちゃったんだね、石川さんってのがあるなんて知らなかったよ、ということで済まされる余地があったのだ。ところが、次がいけない。

石川さんのパクリ

これはローリーがマスイさんを描く直前にホワイトボードに書いた絵である。誰がどう見ても「石川さん」だ。つまり、ローリーはマスイさんを思いつく前から石川さんのことを知っていた。それどころか、かなりお気に入りであったということが丸分かりである。マスイさんを考案したあと、ローリーは急いで石川さんの絵を削除しているのだが、あわててそんなことをしても、このようにネットの世界では証拠がどこかに残ってしまうものなのだ。

しかし今のところ、ローリー、石川さん双方ともに明確なコメントを発表していないため、パクリとは断定できない状況であり、関連性も不確か。「真相はいかに」といったところだ。

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2013/03/29

理想の研修医K君の思い出

フォルダを整理していたらむかし先生が大学で教えていたころの研修医K君の写真が出てきた。

研修医K01

先生が業界を去ってからかれこれたぶん35年ぐらいは経っているので、そのころの研修医に誰某がいたかなんてことはもうすっかり思い出せなくなってしまっているのだが、ことK君に関しては、それがまるで昨日のことであったかのように覚えている、とまで言ったら言いすぎかもしれないけれど、先生が見た星の数ほどの研修医諸君の中でもK君はひときわ光輝き放っていた理想の研修医といえた。

当時これをアップしようかどうしようか迷っていたので、ローリーに相談したら、こんなの目線も入れずにそのままアップするなんてとんでもない、いくらなんでも個人が特定できちゃうし、あいつにすごく迷惑だから、ぜひやりましょう、と答えてくれた。それでも先生は躊躇して、念のために今度はS浦に相談してみたのだが、あいつはもうすぐ結婚するようなこと言ってましたから今がとても大事な時期なんですよ、それにこれから生まれてくるあいつの子どもが将来これを見たらいったいぜんたいなんて思いますかね、先生そこまで考えているんでしょうね、考えているんだったら、さあ早くアップしましょう、と答えてくれた。

その後その話が風の便りでなんとなくK君本人に伝わり、できればやめてほしいと言ってるという噂が風の便りでなんとなく聞こえてきたのでやめていたのだが、あれからたぶんもう35年ぐらいは経っていて、K君も定年退職してる頃かもしれないし、あるいはすでに他界しているかもしれないし、それになんといっても、もうこのブログを見ている人もほとんどいないようだから、続きをどんどんあげていきます。

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2013/03/22

押切先生押し切れず

フォルダを整理していたらむかし先生が大学で教えていたころの押切先生の持ち物の写真が出てきました。

先生が業界を去ってからかれこれたぶん25年ぐらいは経っているので、押切先生がいったいどういう先生だったのか、先生はすっかり忘れてしまったようです。それでも一生懸命思い出そうとして精一杯考えてみた結果、

押切先生とは◯◯外科の先生でありながらときどき研修に来たり仕事を手伝いに来てくれていた先生で、押しの強いのが多い◯◯外科医の中にあって珍しく押しが弱く、押切という名前にもかかわらずいつも押し切れず、そのへんにうっかり置いておいた持ち物には必ず「もえ」と落書きされていた先生

だったような気がしました。

押切先生

当時これをアップしようとしたらこりゃ個人が特定できちゃうし◯◯外科の他のいやな感じのドクターになんか言われたら困るからダメですとローリーにいわれてやめていたのだが、あれからたぶんもう25年ぐらいは経っているしもうこのブログを見ている人もあまりいないだろうからあげておきます。

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2013/03/21

マスク美人

むかし先生が大学で教えていたころ、教え子のローリーが「先生、◯◯病院でものすごいマスク美人を見つけました」といってホワイトボードにその顔を描いてくれたときの写真が出てきた。「マスク美人」というのは一種の業界用語なんだけれども、先生はこの業界を去ってからかれこれたぶん15年ぐらいは経っているから、それがいったいどういう定義だったのか、すっかり忘れてしまったようだ。それでも一生懸命思い出そうとして精一杯考えてみた結果、

マスク美人:そのものすごい美人ぶりをマスク程度で隠すことはまったく不可能でマスクをしていてさえもやっぱりひと目でものすごい美人だとすぐにわかってしまうほどのものすごい美人

ということだったのではないかと推測する。

そのものすごいマスク美人の実物を実際に見たことがある人たちにこの似顔絵について訊くと、みんな口をそろえてこりゃそっくりだわと言っていたので、たぶんこりゃそっくりなんだろうと先生も思う。当時これをアップしようとしたらこりゃそっくり過ぎてひと目で個人が特定できちゃうからダメですとローリーにいわれてやめていたのだが、あれからたぶんもう15年ぐらいは経っているしもうこのブログを見ている人もあまりいないだろうからあげておく。

マスク美人1
画像にオンマウスしていただけるとわかります。

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2010/10/03

白熱教室

先生が大学にいたころ、先生の大学の学生は、なんかかんか理由をつけてはよく逃亡したものでした。先生も先生で、おもしろい言い訳だとついつい許してしまいがちでした。教室にきた学生にはコーヒーを入れることを強要したあげく、富の分配の公正についてはおろか、なんの議論らしいことをした覚えがありません。

鈴鹿

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2010/04/06

硝子戸の中

硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来ない。書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。

その上私は一昨年の暮から気の病でほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐っているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人がメールやコメントを寄こす。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為たりする。私は興味に充ちた眼をもってそれらの人に返事を書いたりブログに引用した事さえある。

私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字が、 忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念している。私は電車の中で端末を出して、大きな活字だけに眼を注いでいる読者の前に、私の書くような閑散な文字を列べて画面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、誹謗中傷や、ライフハックや、萌えや、エロや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思うエントリーか、もしくは自分の神経を相当に刺戟し得る辛辣なツイートのほかには、端末を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、返信メールを打ち、電車に乗っている間に、今起きている社会の変化をツイッターで知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、自分のパソコンに電源を入れるほど忙がしいのだから。私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑を冒して書くのである。

ついこの間私はあまり乱雑に取り散らされたメール受信箱がうっとうしくなったので、一人でぽつぽつそこいらを片づけ始めた。その時メールの整理をするため、好い加減に積み重ねてあるスパムや広告や更新通知のメールを、ひとつずつ改めて行くと、思いがけなく小次郎さんという痲酔科医が寄こしたメールがあった。さっそく封を解いて中を検べたら、サンダルの写真が二枚入っていた。それには「スギュラ」を模した付箋が貼られていたので、私はまた吃驚した。

突然のメールで失礼します。セイタカシギの住む町の痲酔科医です。教授のブログに感銘し、更新をいつも楽しみにしています。いきなりですが、このたび手術室用に「黒い」クロックスを買 ってしまいました。名前を書こうとしたら黒くて書けず、オペナースからジビッツを勧められましたが、教授の隠れ弟子として心が許しませんでした。悩む中、教授の「スギュラ」の話を思い出し、手当たり次第にシールをさがしました。残念ながら自分の名前にあうものがなく、苦肉の策で「マスキュラックス」を切り貼りした、「マスイ」シールをつくりました。これが、PRADA風で評判よく、ぜひ教授に見ていただきたいと、勝手に写真を添付したメールを送ります。ぶしつけで、ほんとにたいへん失礼しました。

小次郎

クロックス

S浦君に初めて会ったのは明治百三十五年の晩秋であった。私の医局で入局説明会というものが催されたのだが、参加を希望する学生は誰一人見当たらなかった。ローリーは、これでは説明会も何もあったものではないと云い、私の医局に入局する志などひとつも持ち合わせていなかったS浦君を無理やり連れてきたのである。

その時私はローリーによってS浦君に紹介された。二人が内灘の、とある小さな居酒屋に落ち合って、しかも、まだ互に名乗り換した事がないので、 ローリーの力を藉りて、どうか何分と頭を下げたのは、考えると今もって妙な気がする。その時ローリーはBボーイのような格好をしていた。大袈裟に手を前へ出して、S浦君、これがスミルノフ先生と云ったが、全く云い切らない先に、また一本の手を相手の方へ寄せて、先生、これがS浦君と、公平に双方を等分に引き合せた。私はローリーの態度が、いかにも、厳で、一種重要の気に充ちた形式を具えているのに、尠からず驚かされた。S浦君は私の横に座って、胡座のままで小さな会釈をしたが、私と目を合わせようとはしなかった。私は笑うと云わんよりはむしろ矛盾の淋しみを感じた。幽霊の媒妁で、結婚の儀式を行ったら、こんな心持ではあるまいかと、座りながら考えた。

それから二三ヶ月経った。たしか翌年の春の初の頃と記憶しているが、S浦君が私の医局に入局することを突然表明したと耳にした。初めの頃のS浦君は何の必要があってか知らないけれども、絶えず大道で講演でもするように大きな声を出して得意であった。そうして後輩が来ると、必ず通客めいた粋がりを連発した。それを端で聞いていると、ウィットにもならなければヒューモーにもなっていないのだから、いかにも無理やりに、(しかも大得意に、)半可もしくは四半可を殺風景に怒鳴りつけているとしか思われなかった。

ところがある日、S浦君がマスキュラックスの付箋を上手に切り取って「スギュラ」に加工し、自分の持ち物に貼っているのを見て愉快になった。何をしているのかと尋ねると、S浦君はただ自分の名札を自分の持ち物に貼っているだけですと答えた。
「スギュラ」は君の名前の正しい表記ではないと諭すと、だって先生、読めば僕だとすぐお分かりになるでしょうと云った。私はなるほどこれもまた言文一致の新たな有様かもしれぬと考えた。そしてS浦君にウィットもヒューモーもないと思っていたのはただ私の不見識による所以だったと謝ると、別にウィットだのヒューモーだのと考えているわけではありません、ただ名札を最初から作るのが面倒だからこうしているだけですと答えた。

その後、私とS浦君は一緒に研究をすることとなり、たちまち親しくなってしまった。実験室ではいろいろな事を話した。いや、エロエロな事を話した。S浦君はよく実話ナックルズ、投稿キング、ブブカなどの興味深い書籍を貸してくれた。

それから「スギュラ」ことS浦君の名は驚くべき速力を以て旬日を出ないうちに日本全国の庶民の間に広がった。明治百三十七年の初夏、S浦君は日本○○(活字の滲みによって判読不能)科学会で初めて講演をすることとなった。文壇ではまだ無名の存在であるはずのS浦君なのに、その前には黒山の人だかりができた。ねえ、このS浦って「スギュラ」のことじゃない? という声が人垣の彼方此方から聞こえた。

S浦君は生まれて初めて大勢の聴衆を目の前にし、幾分緊張した面持ちを見せたが、滞りなくβ1阻害薬の薬物動態に関する講演を終えてみせた。そのうち、司会のS田先生がβ1阻害薬の痲酔深度への影響に関して議論をやり出した。痲酔深度への影響はS浦君の研究内容と直接の関係はないのだが、大変興味があると見えて、いつまで経ってもやめない。一通り気の利いた発言が出尽くして談話が途切れた頃、S田先生が、スミルノフ君はどう思うのかねと突然私に向かって質問をした。

私はしばらく考えてから、ただ単簡に分かりませんとだけ答えた。私はこの問題について全く意見を持たなかったわけではない。β1阻害薬に関しては痲酔深度に影響するという報告もしないという報告も両方あることを承知していた。ただ基礎医学では脳神経細胞のβ2受容体は発見されているがβ1受容体は未だ発見されていないということも承知していたから、もし影響するのだとしてもその現象について明確に説明することは現時点で不可能であると考えたのである。

しかし私のようなものが、そのような講説を長々として時間を取らせるのも申し訳ないという心持ちがしたので、ただ分かりませんとだけ答えておいたのである。その後新進気鋭のS藤S医科大学教授が現れて、全く私が考えていたのと同じような事を説明してみせた。あとから考えると、スミルノフは平生から馬鹿な文章ばかり書いているがあれは本当に馬鹿だと聴衆に思われたのではないかと心配になり、思い出す度に不愉快になって来る。

小次郎さんが寄こしたメールによると、小次郎さんは手術室で黒いクロックスとかいうサンダルを履いているようである。私の医局の若い痲酔科医たちの間でも、このクロックスというサンダルを履くのが流行っていた。それを仕切っていたのはやはりローリーで、各自に華やかな色違いのクロックスを買い与えていた。痲酔科医以外の外科医連中は病院が用意した普通のサンダルを履いていたし、研修医は痲酔科を研修中であってもやはり普通のサンダルを履いていた。

ある年、鮎子君が二年間の研修医生活を終えて痲酔科に入局し、その歓迎会が執り行われた。先輩の桂君がお祝いの品だと云って包を渡すと、鮎子君は今ここで開けてもいいですかと云って紐を解いた。中から出てきたのはクロックスであった。今となっては何色であったのか判然としないのだが、色鮮やかであったことだけは記憶している。鮎子君は、私はこれが欲しかったのですと目に涙を浮かべ、感激の余りその場で座り込んでしまった。それほど手術室で派手なクロックスを履くということは痲酔科医局員であるという証だったのである。

その頃の写真が残っていないかと書棚を探してみたところ、クロックスを履いた祐子君の写真を見つけた。

ユーコ

この写真は、祐子君が長椅子で居眠りをしていたので、私が悪戯心にその姿を撮ってやろうとしたものである。しかし途中で気付かれてしまい、目を覚ました祐子君は反感を起こして私の腕を掴まえ、何をするのだと怒っていた。小次郎さんの手紙には、ジビッツを勧められたが教授の隠れ弟子として心が許さなかったとある。小次郎さんの期待に添えず残念な心持ちだが、写真をよく見ると私のところの医局員たちはジビッツとかいうものを随分愛用していたようである。

私はサンダルというものが厭だったので、一度もクロックスを履いたことはない。何か緊急事態が生じれば即座に駆けつけることが私の主な役回りだったので、サンダルのようなものではぎこちないと考えていた。また病の身になってみればよく分かるが、サンダル履きの職員の足音ほど病人の耳にやかましく響くものは他にない。そのような理由で私は白い自動車運転用の靴を愛用していた。私がいつも白い靴を履いているのを見ていた研修医の陽樹君は、 「先生、この度白靴の会というものを発足させました」と私の耳元で囁いた。
「なんだい、その白靴の会というのは」
「権威を振りかざす教授は黒い靴を履くものです。先生を慕う私どもはその証として白い靴を履くのです」
「それでその白い靴の会というのはどういう活動をするのかね」
「黒い靴を履いた教授を見かけたら心の中で敵意を抱きます」
「心の中で抱くだけかね」
「心の中で抱くだけです」
「それが活動かね」
「それが活動でございます」
「それで私は何をすればいいのだ」
「先生は何もなさらなくて宜しゅうございます」

この陽樹君というのは平生から口先ばかりの男だったので、私も適当に返事をしておいた。陽樹君は私を慕っていると云いながら、私の医局には入局して来なかった。それから私は二三年ほどその病院に勤めたのだが、ついぞ私の他に白い靴を履く者は只の一人も見掛けなかった。

S浦君も医局員でありながらクロックスを履かなかった一人であった。S浦君もサンダルが嫌いなのだろうと尋ねたら、いいえ、内輪だけの活計に甘んじて得意にその日を渡るのを好まぬだけですと答えた。

私はこの愉快な若者たちと別れて一年半の今日になって、過去を一攫みにして目の前に並べて見ると、私の若者たちは、四十を越した男、自然に淘汰せられんとした男、さしたる才能を持たぬ男を随分楽しませてくれたものだと思う。住み悪いとのみ観じた世界にたちまち暖かな風が吹いた。

四十雀が囀り出した。今まで見掛けなかった子猫が寄ってきて私の顔を怪訝な面持ちで見ている。先刻まで忙しそうに働いていた看護師たちは、みんな連れ立って家路についてしまった。職場も心もひっそりとしたうちに、当直の私は硝子戸を開け放って、静かな春の香りに包まれながら、恍惚とこの稿を書き終わるのである。そうした後で、私はちょっと肱を曲げて、この部屋で一眠り眠るつもりである。

注:この稿には夏目漱石の「硝子戸の中」「思い出す事など」「永日小品」「長谷川君と余」からの大幅でいい加減な引用があります。以前から高橋源一郎さんによる「硝子戸の中」の素晴らしいパスティーシュ(硝子戸の中から始まり、いつのまにか石川啄木との幻想的で悲しい物語になります)へのオマージュをやりたいと思っていたのですが、そのきっかけを与えてくれた、ここでの通称小次郎さんに心から謝意を表します。漱石ファンの皆様は駄文にさぞかしご立腹と思います。たいへん申し訳ありません。来年の夏にでも松山でお会いしましょう。

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2010/01/25

さあ、コペンハーゲンってどこの国の都市だっけ?

はてブがたくさんついた記事を読むことはほとんどないんだけど、最近これを偶然読んだ。そしてフーコーを連想したのだけれど、そのあとこの記事の500個以上のブクマを見たら、フーコーに言及してるものがちらほら、中井久夫について語るものまでいて、マーカーのみなさんお前らって何者なの? 研究者とか一流大学の学生とか院生なのかなって思った。だって少なくとも私の教え子たちにフーコーを知っている人がいたとは思えない。フーコーは医学史に関わる著作もあるから、医学生の間で有名であってもよさそうなものだが、私は教員時代に学生とフーコーの話をした記憶は一度も無い。さすがにフランクルだったら有名かもしれない。でもどうかな。それでもローリーは知っているだろうか?

そもそも医学部の学生や研修医は、まあ医者もそうかもしれないし、あるいは私が教えてた大学の連中が特別そうだったのかもしれないが、実際の臨床に役立たない知識だと判断すると、とたんに驚くほど無関心になる。そのことを象徴するような出来事を、たまたまHDを整理していたら出てきたこの写真で思い出した。

ABL

ラジオメーター社の血液ガス分析装置である。同社はこの分野で世界的なシェアを占めている。私はわざわざ「COPENHAGEN」という文字を強調してこの写真を撮った。だってね、みなさん、おかしいと思いませんか? 血液ガスの測定機器に限って、アメリカでもない、ドイツでもない、日本でもない、コペンハーゲンという都市がある小国の会社が大きなシェアを占めているんだよ。

さあ、コペンハーゲンってどこの国の都市だっけ?

そう、デンマークだよね。賢明な読者諸君はすかさず答えたはずだ。そしてもう興味津々になってるよね。ねえ、どうしてアメリカでもなくドイツでもなく日本でもなく、血液ガス分析に限ってデンマークが出てくるの? もうあなたは早く答えを教えろってイライラしているはずだ。

それはどうしてかというとね、デンマークがポール・アストラップ博士という血液ガス分析のパイオニアを生んだ国だからさ。あのね、1950年代の初頭、デンマークではポリオが大流行し、何百人ものこどもたちが呼吸不全で亡くなっていたんだ。そこでアストラップ先生は……。以下はめんどくさいのでコレでも読んでね。

血液ガス分析のことをアストラップって呼ぶ医者もいるよね。それぐらいすごい先生なんだよ。でも私はそんな医者、「メスよ輝け」の当麻先生以外に見たことないぞー。そんなのそうとう古い医者だと思うぞー。

まあそれはおいといて、いかがだろうか。この測定装置の「COPENHAGEN」という文字は、血液ガス分析の話のとっかかりとしてはとても良い素材なんじゃなかろうか。みなさん、引き込まれたでしょ。だから私はそういうふうに話し始めて、それからアストラップ先生がアメリカの学者たちと勇敢に戦った話とか付け加えてやろうと思い、さっそく研修医たちを集めた。私の素晴らしい講義が始まるぞー。私は質問した。

さあ、コペンハーゲンってどこの国の都市だっけ?

「えっと、どこだったかな」
「聞いたことはあるんだけどな」
「ハーゲンっていうぐらいだからドイツなんじゃないですか?」
「あー、東欧の方じゃなかったっけ?」
「オーストリアとかじゃない?」

いかん。私はこの大学の連中をすっかりナメていたようだ。ローリーにいたっては、知らないってこと自体に悦に入り、自慢気な笑顔を浮かべている。

ローリーが研修医に毛のはえた程度だったこの頃、翡翠科医の間ではプレコンディショニングという言葉がちょっとブームだった。プレコンディショニングというのは、心臓が短時間の虚血にさらされると、それで虚血に強くなって心筋梗塞になりにくくなるって現象のことだ。そして、あたかも短時間の虚血にさらされたかのように虚血に強くなることをプレコンディショニング効果と呼ぶ。当時、翡翠薬のいくつかがこのプレコンディショニング効果を持つのではないかといわれており、それで学会や学術雑誌などで話題になってたのだ。もちろん、そんなことはまだ教科書とかには書いてなかった。

ちょうど私がプレコンディショニングについて議論しているところに、研修医に毛のはえた程度のローリーが入ってきた。研修医に毛がはえたぐらいの頃というと、もうそろそろ教科書一辺倒の勉強は卒業して、学術雑誌なんかも読み始め、旬の知識を仕入れたりし始める頃である。私はローリーがそういう一人前への道を歩み始めているのかどうか、ちょっと試してみたくなった。そこで聞いてみたのである。

ローリー、プレコンディショニングって知ってる?

ローリーの答えはこうだった。

ローリー

「それって新しいバンドですか?」

ローリーは満足気な笑顔で答えた。このときのローリーの心の中はおそらくこうだ。俺はスミルノフ先生がロック好きなのを知っている、上司の趣味を知り、上司の気を引く会話がよどみなくできる俺、俺って素晴らしい部下だ。

私はそういうローリーの健気な心境が理解できたので、怒ることはせずに話をそのまま合わせることにした。

「そうそう、今どきちょっとアレかなって思うんだけど、グランジの影響受けちゃっててさ、プレコンディショニングなんていかにもグランジっぽいよね。ボーカルにもディストーションかけちゃってさ、俺の心臓強いぜーっとかって歌うんだよ。そういえば、こないだローカル放送にも出てたぞ。石川テレビをご覧のみなさんコンニチハ!プレコンディショニングです!ってね。」

ローリーは私の妄想癖のスイッチを入れる天才だった。

あれからもう何年も経つ。ひとつ分かったことは、ローリーがいなければブログ記事ひとつ書くのにもたいへんな苦労がいるってことだ。その後ローリーは専門医試験にも合格し、プレコンディショニングの研究に打ち込むほどまでに成長した。だけど、コペンハーゲンがどこの国にあるのかは、結局教えるのを忘れてしまった。COP15も開催されたことだし、さすがにもう分かっているだろうと思いたい。

私はローリーとの再開を楽しみにしている。そして最初の挨拶はこうに決まってる。コペンハーゲンってどこの国の都市だっけ?

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2009/07/07

死☆BOM ローリー

<プロローグ>

みなさんこんにちは。僕です。僕って誰かって? やだなあ、先生ですよ、みんなのよく知っている先生です。

もう遠い昔のことになりますが、先生がまだ翡翠を教えていた頃、ミオちゃんに「先生にお願いがあるんですが…」と意味深な雰囲気で言われました。先生は、続けて愛の告白がなされたらどうしようかと心配したのですが、そのお願いとは「もっとローリーさんネタを増やしてください」というものでした。ちょっとがっかり。

あれから何年経ったかもう覚えていないのですが、先生は他ならぬミオちゃんのお願いはけっして忘れていませんよ。とっておきのローリーネタです。

この物語の元題は、最初は「翡翠バッグの運命」でした。題名を「死☆BOMローリー」に改名した理由は最後に分かります。本当は、先生と、いや、もとい、僕とローリーの悲しい別れの物語です。僕とローリーは、先生と教え子、というよりは、僕と鼠、のような関係だったような気がします。だから今日は、先生、ではなく、僕で語ることにしよう……。

<Ф>

死☆BOM01
それはまだ僕が翡翠科医で、そして人に翡翠を教える仕事もしていた頃の話だ。僕は古典的な緑色のゴムの翡翠バッグが好きだった。
死☆BOM02
近頃の新しい翡翠バッグは、こんなシリコン製みたいな白いのが流行っている。でも僕は自分の手のひらにすっぽりと入って、まるで患者の肺の感覚が直接手のひらに伝わるような古いゴム製が好きだった。
死☆BOM03
あまりよく知られていないことだろうけど、翡翠科医は仕事の前に翡翠機器の始業点検をする。特に翡翠バッグの劣化には敏感だ。おっといけない、このバッグは全然膨らまないじゃないか。
死☆BOM04
なんだ、よくみるとバッグのコックが開いていた。これでは酸素が漏れてしまって膨らむはずがない。
死☆BOM05
開いているコックを……
死☆BOM06
閉める……
死☆BOM07
ほら、しっかりと膨らむようになった。
死☆BOM08
いや、いかん。このバッグには小さな穴が開いていて、そこから酸素が勢いよく噴出してくる。小さな穴といえども、このまま患者に使用するわけにはいかなかった。
死☆BOM09
数少ない愛着のあるゴム製バッグだったが、穴が開いてしまっては使えない。残念だが捨てるしかないのだ。
死☆BOM10
いや、このままゴミ箱に捨てたのでは、誰かが「間違って捨てられている」と勘違いして拾い出す可能性がある。穴の開いたバッグをまた使われたらとても危険だ。念のため、誰が見ても二度と使えないと分かるようにハサミを入れておこう。
死☆BOM10
真っ二つにしてトドメを刺しておきながら未練がましいのだが、やっぱり捨てるのは惜しいような気がしてきた。これはこれで何か別のことに使えないだろうか。そう、たとえば、手術室でかぶる帽子とか……。
死☆BOM11
さっそくローリーに試着してもらった。
死☆BOM12
さすがファッションリーダーのローリーだ。何でも着こなしてしまう。
死☆BOM13
まるで武士を思わせるかっこいい帽子だ。でも、ローリーだからかっこよく見えるんじゃないだろうか。果たして万人がかぶってもかっこいいのだろうか。
死☆BOM14
ところが、僕はこの帽子の欠点を発見してしまった。上から見るとバッグの入り口の穴から頭が丸見えなのだ。これじゃ不潔だと指摘される可能性も否定できない。
死☆BOM15
いや、心配はない。僕の手元には2つに切ったもう一方の切れ端、すなわちバッグの下半分が残っているのだ。こちらはコックを閉めてしまえば完全な閉鎖空間の中に頭をしまいこむことができるのだ。
死☆BOM16
いやー、やっぱり似合うねえ、ローリー、と言いながら僕が彼の頭に手を伸ばすと、不思議なことにローリーはひどくおびえた表情になった。
死☆BOM17
僕はローリーがかぶったバッグについているコックに手をかけた。そのときは、自分でも自分が何をしたいのかよく分からなかった。ただそうしたい気分だった、とでもしか説明のしようがない。よく意味が分からなかったが、ローリーは「それだけはやめてください!」と絶叫した。
死☆BOM18
僕の意志ではなく、別の何か大きな力が僕を動かしているかのようだった。僕はコックに手をかけ……
死☆BOM19
それをひねって大気に開放した。
死☆BOM20
開放されたコックからは、プシューという大きな音とともに大量の気体が噴出した。
死☆BOM21
気体はとどまることなく流出し続けた。ローリーの顔が青ざめていった。
死☆BOM22
いったいこの気体は何なのだろう。ローリーは悲鳴にもならない苦痛に満ちた声を出した。
死☆BOM23
ローリーは、しぼんだ。そしてソファーに倒れこんだ。これがローリーとの最後のお別れになろうとは、僕はそのときは夢にも思わなかった。
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