2019/06/18

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2018/12/30

墓銘録2018その9 佐山雅弘・前田憲男

2018.11.14 佐山雅弘

佐山雅弘

大学生のときバンドのプリズム好きなギタリストから「もっと佐山さんみたいに弾いてくれないかな」と言われた。そのとき僕は佐藤允彦と勘違いしたぐらい、佐山さんのことをよく知らなかった。今ならそう言われてさっそく動画サイトや音楽配信サイトで調べるんだけど、当時はそうもいかないでしょ、それだけのためにプリズムのアルバムやSBATOTTOを買う財力はなかったし、マイナーすぎてレンタルレコード店にはなかった。ということで、動画サイトや音楽配信サイトの時代になった今、やっといろいろ聴くことができたんだけど、なんというか、若い頃の瑞々しく感性の溢れ出す演奏(彼が言ってたのはこういう演奏のことだったのだな)、近年の人柄の滲み出るライブ演奏の数々、そしてなんといっても、佐山氏自身の筆による最後のお別れの言葉、特に「楽しさこの上ない人生を送ってしまいました」が素晴らしすぎて(参照:ジャズピアニスト佐山雅弘オフィシャルページ)、なんだかとても幸せな気分になりました。やっぱり、あのときすぐに佐山さんのことを調べてはまっておくべきだったなあ。

2018.11.25 前田憲男

前田憲男

ジャズ・ピアノ6連弾の出演者のうち、佐山さんが病気で出られなくなり息子さんが代役をやることになったが、前田氏も病気で出られなくなり、結局6連弾が5連弾となってしまった。そして佐山さんを追うように、前田氏もこの世を去った。

前田氏は僕が子どもの頃から名前を知っていたぐらいだから、きっと大物なんだろうということはわかっていた。印象としては、すごく髪が多くて、大橋巨泉と仲の良い、ときどき11pmに出てくる大物っぽい人、といったところだ。個人的にはクイズ「ヒントでピント」の電子音楽的なテーマ曲がとても印象に残っている。ジャズピアニストのおっさんだと思ってたのに、実は大型モジュラーを個人で持ってて、こんな電子音楽作っちゃうんですよ、なんか、やっぱ只者ではないなって感じがするよね。

以上、今年も無事に終了です。今年は他にも、クレイグ・マクレガー(2/9)、アヴィーチー(4/20)、森田童子(4/24)などがノミネートされましたが、特に理由もなく選外となりました。すいません。

来年どれだけブログを書くか、いまのところ全くの未定ですが、とりあえず皆さん、よいお年を!


2018/12/28

墓銘録2018その8 フランシス・レイ

2018.11.07 フランシス・レイ

フランシス・レイ

フランス映画の音楽といえばフランシス・レイの名前が思い浮かび、「男と女」も「白い恋人たち」も「ある愛の詩」も自然にメロディを口ずさむことができる。考えたらこれってすごいことだよなあ。なんでだろう。映画自体はまともに見たこと無いのに。思い当たるのは、僕らの年代が小中学生のときと、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーヴル、カラベリなどといったイージーリスニングの全盛期が重なるということだ。校内放送でもしきりにかかっていた。これらのオーケストラはフランシス・レイの作品を取り上げることも多かった。したがって、僕の記憶に残っているフランシス・レイのメロディは、きっとオリジナルではなくてこれらのイージーリスニング・オーケストラの演奏によるものなのだろうという結論に至った。

校内放送でかかりやすかったのは、歌詞がなくて当たり障りがないからなのだろう。僕は中学校で放送委員になったとき、そういう風習に反抗したくて、まず放送室のターンテーブルの上に置かれたままになっている擦り切れそうなポール・モーリアのアルバムを外した。そしてカーペンターズとかモンキーズみたいな英語なので何を歌っているのかわからないそれでいてわりとソフトな曲調のものからかけ始め、だんだんと慣らしていったところで昼休みにユーミンを流したら、中学生にふさわしい音楽とは言えませんって職員室からクレームが来た。うーん、それを言ったら「男と女」や「ある愛の詩」はどうなんだって思ったけど。

以上、適当な文章でお茶を濁したけど、ミシェル・ルグランのときにコピペして使うかもしれません。

さあ、もうちょっとで完了です!


2018/12/28

墓銘録2018その7 シャルル・アズナブール

2018.10.01 シャルル・アズナヴール

シャルル・アズナヴール

父親がシャンソンのレコード・コレクターだったので、小学生の頃に試しに聞かせてもらったことがあるのですが、ほとんど理解できませんでした。

今でも覚えているのは「メケメケ( Méqué méqué)」一曲だけです。これはまあ聞けると言ったら、父親はうれしそうな顔をして二枚のシングルレコードを並べました。一枚は作曲者が歌うメケメケ、もう一枚は作詞者が歌うメケメケです。

今ではいろんなカヴァー曲やバージョン違いの曲を聴き比べるのが楽しみのひとつである私ですが、その原点はこの時だったのかもしれません。

この時の記憶として私の頭に残っているのは以下の二点です。

  1. 圧倒的に作曲者の歌うバージョンの方が良い!
  2. シャルル・アズナヴールといういかにもフランス的で素敵な名前

この二つの記憶がいつのまにか頭の中で編集され、私はこの半世紀近く「メケメケは作曲者であるシャルル・アズナヴールが歌うバージョンに限る」と思い込んでいたのです! シャルル・アズナヴールの訃報をきっかけに、これが大きな間違いであったことに気づきました。

  1. シャルル・アズナヴールは作曲者ではなく作詞者
  2. 作曲者はジルベール・ベコー
  3. 今聞いてみるとどちらか良いとか優劣つけられない

よろしければ皆さんもどちらが好きか聴き比べてみてください。

  1. Charles Aznavour - "Me que me que"
  2. Gilbert Bécaud - ME QUE, ME QUE

ジルベール・ベコーの名前は知っていましたが、メケメケの作曲者であることはすっかり失念していました。さて、皆さんはどちらが良いですか? 圧倒的な差がありましたでしょうか? ないですよね?

というわけで、以下のような結論に達しました。

  1. 50年前の私が圧倒的に良いと感じたのはどちらなのか?
  2. どうやらそれは永遠の謎になりそう

私の単に個人的な記憶をさかのぼる旅に付き合わせてしまって申し訳ありませんでした。


2018/12/27

墓銘録2018その6 アレサ・フランクリン

2018.08.10 菅井きん

菅井きん

2018.08.16 アレサ・フランクリン

アレサ・フランクリン

アレサ・フランクリンを知ったのは80年代に復活してからだった。たぶん私が洋楽を聞き始めた頃はちょうどスランプの時期にあたり、それで知らなかったのだろうと思う。だから私の彼女に対する印象は、堂々とした体格で朗々と歌い上げる、ショートヘアーの黒人女性歌手ということになる。

しかし、ネットで検索してみると、アレサのこれまでのヘアスタイルは実に多種多様である(参考:Aretha Franklin: The Vocal Evolution (1956-2017))。これは、黒人女性におけるヘアスタイルの歴史を反映しているともいえる。初期は白人文化に合わせたストレートヘアが主流だったのが、60年代の黒人解放運動によって抵抗の象徴としてのアフロヘアーが生まれる。やがてアフロは政治的な意味を失い70年代にはファッション化していく。また、アフリカ文化への回帰の象徴だったコーンロウもその意味を失い、ファッションとして流行していく。簡単にいえばこんな感じで黒人女性のヘアスタイルは多様化していったのだろう。

こうしていろいろ見ているうちに、最初に思い浮かべたショートヘアーがアレサのシンボリックなヘアスタイルかと問われると自信がなくなってきて、結局、68年「Chain Of Fools」のジャケット写真を参考にすることにした。なんとなく墓銘録2018その1 フランス・ギャルと対比させたくなったというのもある。うまくいえないが、彼女にはダイアナ・ロスやディオンヌ・ワーウィックよりもずっとソウル的というかゴスペル的なものを感じる。しかし、のちに黒人や女性たちの公民権運動・フェミニスト運動の象徴となっていく彼女でさえ、スターへの道を歩み出すその背後には、キャロル・キングやバカラックといった白人文化の巨人たちがいたのである。


2018/12/27

墓銘録2018その5 アラン・ロングミュアー

2018.07.02 アラン・ロングミュアー

アラン・ロングミュアー

小学校時代に私と一番を争ったケンちゃんは一見するとメガネをかけたガリ勉タイプだったが、意外にも私よりずっと先に洋楽にはまっていた。私もカーペンターズに夢中となりこれでやっと追いついたと思ったのだが、そのとたんにケンちゃんはカーペンターズなんかもう二度と聞かないわと言ったのでショックを受けた。どうやら、「緑の地平線」からシングルカットされた「オンリー・イエスタデイ」までは良かったが、次のシングルカットの「ソリテアー」がずいぶんお気に召さなかったらしい。

このときのケンちゃんのお気に入りはジョージ・ハリスンの「ディン・ドン」とかクイーンの「キラー・クイーン」とかであり、もうポップスは卒業してすでにロック少年への道を歩み始めていたのである。そのケンちゃんが見つけた期待のブライテストホープがベイ・シティ・ローラーズだった。「バイ・バイ・ベイビー」は名曲だと言って自慢げにそのシングルレコードを見せびらかせてくれた(実はバイ・バイ・ベイビーはフォーシーズンズのカヴァーであり元々名曲だったことを知ったのはそれからずっと後の大人になってからのことである)。

その後私たちは別々の中学へ進み交流は途絶える。私は都会に出て様々なロック少年たちと出会い、人並みにツェッペリンやパープルにはまり、ベイ・シティ・ローラーズってロックじゃなかったんだ、と思うようになる。テレビの洋楽番組で、メンバーが女の子に引っ張られて舞台から落ちてるのに演奏が止まないことから、こいつら自分で演奏してなかったんだと思いこむ(海外のテレビでは口パクが当たり前と知ったのはつい最近のことだ)。

大学生になると、ケンちゃんは学生バンドを結成して活躍しており、そこそこ有名なんだと風の便りで知る。あれからケンちゃんがどんな音楽に出会い、どんな音楽をやってるのかはわからない。まさか今でもベイ・シティ・ローラーズってわきゃないわな、とは思ったりした。

さて、普通のオッサンになってみると、一周回ってベイ・シティ・ローラーズもあれはあれで良質のポップスだったのだなーと思える。ケンちゃんはどう思ってるんだろう。フェイスブックで探してみたら簡単にケンちゃんを見つけることができた。便利で恐ろしい世の中になったものだ。あのケンちゃんも仕事が終わった後のビールが楽しみな普通のオッサンになっていた(私はのまないが)。そしてアラン・ロングミュアーの訃報に接して、ベイ・シティ・ローラーズの写真をあげていた。やっぱりケンちゃんも懐かしく思ったのだろう。一周回ったのかどうかはよくわからんが、たぶん私と同じで回ったのだろうな。

ところで皆さん、アラン・ロングミュアーってどの人だか覚えてましたか。私はロングミュアーと聞いて、てっきりドラムの顎骨がすごい人の方だと思ってました。なんか、一番ハンサムともいえるし、一番地味ともいえる顔ですよね。ちょっと思い出すのに時間がかかってしまいました。

その後ケンちゃんにはフェイスブックで友達申請してみましたが、ナシのつぶてです。まあ無理もありません。私、名前も顔もロシア人みたいになっちゃってるからなあ。まさか小学校の同級生だなんて思いもしないでしょうね。そこでメッセージで「れいろうのみず・のはひろく」って小学校の校歌の歌詞を送ってみたのですが、やはりダメなようです。きっと怪しい宣伝か詐欺かなんかだと思われてるんでしょうね。


2018/12/27

墓銘録2018その4 西城秀樹

2018.05.16 西城秀樹

西城秀樹

小学生時代:私の小学校では有名歌手に年賀状を出して返事をもらうという遊びが流行っていた。その遊びのイニシアチブをとっていたのはクラスの親分的存在であるアズマ君で、堺正章から来た年賀状をこれ見よがしに自慢されたのをよく覚えている。今から覚えばそんなの事務所の人が事務的に宛名書いて返信しただけに決まってるんだが、当時は彼が何をやるんでも天下を取ったような顔で自慢するのがくやしくて、私は見返してやろうと思って手当たり次第に有名歌手たちに年賀状を出した。返事が来る確率を少しでも高めようと、ちゃんとその歌手の本名まで調べて宛名を書いて出した。だから私は当時の有名歌手の本名をやたらに知っている。今でも西城秀樹の本名が木本龍雄で広島出身だということも覚えている。当時は本名なんて雑誌に一覧になって載ってたものだ。個人情報もクソもなかった時代だ。そんな努力の甲斐もなく、結局私は芸能人からの年賀状を一枚も受け取ったことはない。

中学時代:小学生の頃から神童と呼ばれた私だが、中学時代にはどうしても抜けないやつがいて、一番になれなかった。オオミネというやつだ。オオミネは勉強だけじゃなく、スポーツも万能で何をやらせても一番だった。さらに勉強以外の話題も豊富で、芸能界の話も巧みだった。ほんとうに完璧なやつだった。ある日オオミネは私に新御三家について人差し指を突き上げながら一席ぶりやがった。
「ま、言ってみればルックスのゴーヒロミ、アクションのサイジョーヒデキ、歌唱力のノグチゴローってとこなんだよな」
だが私は見抜いていたのだ。それが昨日発売の学研中一コースに載ってた新御三家特集の受け売りだということを。そのことを指摘するとオオミネは僕を無視して、突き上げた人差し指はそのままにくるっと私に背を向け、別の奴に向かって繰り返した。
「ま、ルックスのゴーヒロミ、アクションのサイジョーヒデキ、歌唱力のノグチゴローと言ってだな……」

高校時代:私のクラスでは学校祭向けに自主制作映画を撮ることになった。クラスで一番の成績を狙って毎晩徹夜勉強に励むヨシダ。しかし、常にクラスで一番なのはスポーツも万能、長身でハンサムなシラトリだった。どんなに勉強をしてもヨシダはシラトリを抜けない。そこでヨシダは、シラトリがいったいどんな方法で勉強しているのか偵察することにした。ところがシラトリは勉強するどころか毎晩ぐっすり寝ているばかりではないか。そう、実はシラトリの好成績の秘密は「睡眠学習」だったのだ。自分がこんなに頑張っているのに寝てばかりで好成績をあげるシラトリが許せないヨシダは、試験前日にこっそり睡眠学習のテープを「YMCA」と入れ替える。試験当日、開始の合図とともに問題用紙をめくるが「おかしいぞ、何も覚えていない」と焦るシラトリ。そこでヨシダは用意してきたラジカセのスイッチを入れる。鉛筆の音だけだった教室に突然「YMCA」のイントロが流れ出す。
「おかしいぞ、何も覚えていないばかりか、体が勝手に動く!」
一心不乱に問題を解く生徒たちの中で、ただひとりシラトリだけが立ち上がり、そして踊り出す。
「ワーイエムシエー!」
撮影中、もちろん私はその他大勢の生徒たちのひとりだったので、一心不乱に問題を解くふりをしていたから、シラトリ君が踊る場面はのちに映像としては見たが、実際には見ていない。ただシラトリ君が立ち上がって一生懸命にYMCAを踊っている衣擦れの音だけが、鮮明な記憶として残っている。

すごいなあ、「お題:西城秀樹」だけで自叙伝書けちゃうんじゃないだろうか。西城秀樹って偉大だなあ。


2018/12/27

墓銘録2018その3 井上堯之

2018.05.02 井上堯之

井上堯之

母の話によると私が初めて買ってもらったレコードは舟木一夫の「高校三年生」で、空でフルコーラス歌えたらしいのですが全く覚えていません。私の記憶だけに頼れば、私が最初にファンになったのはスパイダーズで、「夕日が泣いている」や「バラ・バラ」なんかを激しく熱唱していた覚えがあり、おそらくこれが私のロック原体験だろうということは、昨年の「かまやつひろし」のところに書いたとおりです(参照:墓銘録2017)。

今でも井上順を見たらドキドキするし、もちろん堺正章にも思い入れはあります。しかし、その他のメンバーとなると……。ネットで検索して若い頃のスパイダースの写真を見ても、いったいどれが井上堯之さんなのか、全くわかりません。ですから、私の井上堯之さんに対する認識は、おそらく皆さんと同様で、「太陽にほえろ!」や「傷だらけの天使」などドラマのテーマ曲で有名な、なんかギターの上手い強面のおっさん、というイメージです。なんとなく恐いので、ついつい「さん」付けにしてしまいました。


2018/12/27

墓銘録2018その2 ドロレス・オリオーダン

2018.01.15 ドロレス・オリオーダン

ドロレス・オリオーダン

ドロレス・オリオーダンがリード・ボーカルを務めるクランベリーズについても、2012年に当ブログに書いたことがあります(参照:ザンビの記憶)。私は90年代の半ばにアメリカで研究に従事していたのですが、実験室のFMラジオからは毎日のように「ゾンビ」がかかっていました。いまでもこの曲を聞くと、なかなか結果が出ずに悶々としていたあの頃のつらい思い出が蘇ってきます。

ネット環境もなく、日本からは完全に隔離されていたので、「ザンビ」ってなんのことだろうと思っていました。アメリカ人の同僚が説明してくれるのを聞いているうちに、「そうかゾンビのことか」と分かった瞬間のことは鮮明に覚えています。まあそのような経緯を小説仕立てで書いたのが件のエントリーです。「ゾンビ」が北アイルランド紛争に対する反戦歌であるということを知ったのは、帰国してずっと経ってからのことでした。唯一無二という言葉が似合うシンガーはフレディだけじゃありません。


2018/12/27

墓銘録2018その1 フランス・ギャル

一昨年、昨年に引き続き、三年連続となりました。恒例の墓銘録です。ルールは例年と同様、ミュージシャン本人の似顔絵ではなく、あくまでも「そのミュージシャンに仮装しているスミルノフ教授の似顔絵」であることを申し添えておきます。

しかし、あれですな、レッド・ツェッペリンみたいな一流のアーティストだとアルバム出すごとに完成度が高まり、四枚目ぐらいでとてつもない傑作を生み出したりしますけど、私みたいな凡人はほんと煮詰まる一方です。懸命な読者の皆様におかれましては、回を重ねるごとに手抜きとやる気の無さが増していくのを見逃してくれるはずはないと思いますが、まあせっかくですのでどうぞ最後までお付き合いください。

2018.01.07 フランス・ギャル

フランス・ギャル

今年は、年が明けて最初の訃報がフランス・ギャルでした。いやいや困ったなー、また微妙なところから来たなー、というのが感想でした。そうです、年の初めから私はすでにこの企画に縛られていたのです。誰に頼まれたわけでもないのに、そして誰も楽しみになんかにしてるはずないのに、なぜ私は義務感にかられるのでしょう。

さて、私はフランス・ギャルをリアルタイムで知ってる年ではありません。ですから思い入れもほとんどないのですが、実はなんと10年以上も前に当ブログで取り上げたことがあるのです(参照:ロッキーチャックとフランス・ギャル)。そしてこのエントリーに、当時は医学系サイトとして超有名だった「医学都市伝説」のmed-legend先生が反応してくださったことを鮮明に覚えています。ですから、私にとってフランス・ギャルは、古き良きホームページ時代の思い出とともにあるといえましょう。

意外に長くなりそうなので、続きはまた次回。


2017/12/28

墓銘録2017

昨年は思い入れのある音楽家が亡くなるたびに、急遽即席で絵を描きツイッターにアップ、ということをやっておりました。年末にそれらを墓銘録2016としてまとめましたが、一応今年もやることにしました。しかし、もう飽きちゃってイヤイヤ描くはめになり、ツイッターには最初の2枚しかアップしておりませんので、その他は全て初公開です。描いた時期もバラバラなので、出来栄えにもかなりムラがあります。

ルールは昨年度と同様、ミュージシャン本人の似顔絵ではなく、あくまでも「そのミュージシャンに仮装しているスミルノフ教授の似顔絵」であることを申し添えておきます。

2017.01.31 ジョン・ウェットン

ジョン・ウェットン

昨年はキース・エマーソン、グレッグ・レイクというプログレッシブ・ロックの大物が相次いで亡くなりましたが、今年もプログレ界の巨匠の訃報で幕が上がり、驚きを禁じえませんでした。

絵の方はUKのファーストアルバム、邦題「憂国の四士(1978年)」です。ジョン・ウェットンだけヒゲを生やして黒縁のメガネをかけさせてみました。いきなり地味ですいません。

以前、「女子カーリングのプログレッシブ・ロックな世界 」という記事で、イエスを中心としたメンバー変遷を図示しましたが、このようなプログレ界における激しいメンバー交代の中心にいたのは、彼であったとも言えるのではないでしょうか。キング・クリムゾン、UK、エイジアの他にも、ロキシー・ミュージックやユーライア・ヒープとの関わり、そしてリック・ウェイクマンとのスーパーバンド構想など幻に終わったものも数多く、まさにロック界のキーパーソンでした。特にエイジアの成功によるプログレッシブ・ロックの大衆化は、彼の大きな功績です(もちろん罪であるかもしれません)。

個人的には、UK来日公演の際の「飛行機の中で作ってきた曲だよ」(記憶違いだったら申し訳ないがナイト・アフター・ナイト?)という発言と、エイジアが売れなくなったときの「あれだけの作品で売れなきゃ今後何を作ればいいんだ」という失意の発言がとても印象に残っています。

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