「アゲスママ」の心
「こないだ小学校で話をする機会があってな」
「は、はい……。」
運悪く酒席で教授のとなりに座ってしまった私であった。
「非常に感心したのはだな、その小学校ではオアシス運動というのをやってるんだ。オアシスってお前わかるか?」
「オ、オアシス、ですか?」
「ははは。いいか、オアシスのオは『おはようございます』、アは『ありがとうございます』、シは『失礼します』、スは『すみません』だ。挨拶をきちんとやっていこうってことなんだな。こりゃいいアイデアだと思ったよー」
「はあ、いいアイデアですね」
「そこでだな、俺も医局向けに考えたんだ。オアシス運動みたいなのをよ」
「はあ」
「いいか、『アゲスママ』の心っていうんだ」
「アゲスママ……ですか?」
「そうだ、アゲスママだ。いいか、まずアゲスママのアは◯◯◯……、ゲは◯◯◯……、スは◯◯◯……、」
「教授、ちょっと待ってください。私不勉強なもので…。そのアゲスママっていうのはどういう意味の言葉でしょうか」
「だから、今それを説明してるんじゃないか。それでアゲスママのマは◯◯◯……、もうひとつのマは◯◯◯……だ」
「いやいやいや、教授、ちょっと待ってください。失礼を承知でお聞きしますが、そもそもアゲスママって言葉があるんでしょうか?」
「はあ? どういうことだ?」
「ですから、オアシスが砂漠のオアシスを意味するように、アゲスママも何か意味のある言葉でなければいけないと思うんですが。ただ頭文字をつなげただけじゃあ……」
「……! そうかぁ! そうなのかぁ! それはいいことを聞いたぞ。いやあ、逆にお前に教えられたぞ!」
幸いにも褒められる結果となって事なきを得たのだが、それ以後私の脳には「アゲスママ」という言葉だけが強烈に刻まれてしまい、今でもときどき思い出すのだ。ところが、アゲスママがどんな言葉の頭文字の集合体だったのかは、全く思い出せないでいる。それでも、なんとなくこのとき師匠に言われた「アゲスママの心」を大事に生きてきたような気はする。
アレ
夕方、床屋に行った。
「今日はどうしますか、いつものように少し残して……」
「いや、今日は後ろも横もがっつり刈り上げて」
最近仕事中、妙に髪がうるさく感じる。久々に短くしたい気分だった。
店主はバリカンの歯をいつもより強く私の頭皮に押しつけた。
私の髪は刈り上げられていく。
カットが大方終わり、洗髪のために椅子が倒されたころ、私は「アレ」のことを思い出そうとしていた。
この椅子が戻されると、私は「今日はなにつけていきますか?」と訊かれる。
つまりその最後につける整髪料のことだ。
床屋が終わったら家帰って晩飯食って寝るだけだ。
だから、いつもなら「なんもつけんでいいわ」とか、まあせいぜい「ムースにしとっかな」と答えることが多い。
しかし、今日はひさびさのショートヘアーだし、ちょっと固めて帰りたいな、と思ったのである。
だから。ムースじゃなく「アレ」なのである。
ジェルでもない、
バームでもない、
グリースでもない、
もちろんリキッドでもない、
今どきの若者にしたら、たぶん整髪料としてはもっとも普通であろう、
「アレ」である。
そのもっとも普通な整髪料の名前が全く思い出せないのだ。
ポマード、じゃない。
ポマードというとちょっと古くさい響きだが、最近はシャンプーで落としやすい水性ポマードが、オールドスタイルの流行と相まって人気だそうである。などと、店主が他の客とポマードについて楽しそうに議論している。
背もたれが倒された椅子に横たわる私は、顔を剃られながら「アレ」の名前を思い出すためにはどうしたらいいのか考えていた。いつもなら何も考えず、店内に流れるBGMを聞き流しながら気持ち良くウトウトとする時間なのに。
時間的な余裕はある。
そこで私は、なにかの名前が思い出せないときによく使う方法を行うことにした。
「ア……違うなあ、イ……違うなあ、ウ……違うなあ」
言葉を思い出すには何らかのきっかけが必要である。そのきっかけとなり得るのが、その言葉の「頭文字」だ。
「カ……違うなあ、キ……違うなあ、ク……違うなあ」
このように、とにかく五十音順に一字ずつ思い浮かべていくのだ。それがもし頭文字だったら思い出すきっかけになる可能性は充分にある。例えば私が仮にある種のサラダドレッシングの名前を思い出そうとしており、もしそれが「サウザンアイランド」であれば、まもなく私はそれを思い出すことだろう。
「サ……、あっ、サウザンアイランドだ!」
というように。
ところが、ハ行、マ行、ヤ行までいっても、私は一向に「アレ」を思い出せなかった。
ここまで出ないのは、いくらなんでもおかしい。
何か忘れていやしないか。
そうだ。
濁音を忘れていた。
きっと濁音の頭文字に違いない。
「ガ……ギ……グ……ゲ……ゴ……」
「ザ……ジ……ズ……ゼ……ゾ……」
「ダ……ヂ……ヅ……デ……ド……」
「バ……ビ……ブ……ベ……ボ……」
おかしい。
思い出せない。
何か忘れていやしないか。
そうだ。
半濁音を忘れていた。
きっと半濁音の頭文字に違いない。
「パ……ピ……プ……ペ……ポ……」
おかしい。
思い出せない。
他に忘れてる特殊な濁音無かったべか。
あるいは、ああ、そうか。
あれかもしれない。
小さい「ャ」や「ュ」や「ョ」を入れて一通りやり直してみるか。
「チャ……チ……チュ……チェ……チョ……」
「お疲れ様でしたー、椅子戻しますね」
そこで時間切れとなり、私は完全に起されてしまった。
そして店主がいよいよドライヤーを片手に最後の仕上げに入る。
来た。このときが来てしまったのだ。間に合わなかった。
「何つけて帰ります? それとも何もつけなくていいですか?」
「いや、いや、えーと、その、アレを……」
「あ、なんかつけて帰りますか?」
「うん、うん、そ、そうするかな」
「わかりました。大丈夫です!」
店主はそうとだけ言って、何かを両方の手のひらで伸ばし始め、それを私の髪にマッサージするようにして付着し始めた。
このような付け方、そして付けてもらった感触とその後の髪の立ち具合、ほのかな香り、まさに「アレ」に間違いない。しかし、店主は一言も、その「アレ」の名前を口に出さなかった。
結局、私は「アレ」の名前を全く思い出せないまま、「アレ」をつけてもらって帰ってきてしまった。なんか奇跡的な話ではないだろうか。
そして今私は、「アレ」の名前を思い出せないことにむしろ快感を感じている。
ああ、もうあまり「アレ」のことを考えないようにしよう。
そうしないと、なんか思い出してしまいそうで恐いのだ。
そうだ、今日のこの「アレ」を思い出せなかった話を、「アレ」を全く思い出せない状態のうちに書き上げよう、そうしたら臨場感のある良いものが書けるんじゃないだろうか。
私は久しぶりにブログを書こうと思った。
すでにこの思い出せない感覚は、恍惚感に達していた。
例えてみれば、放尿の直前、排便の直前、射精の直前、のような恍惚感である。
思い出せない状態のまま思い出せない話を書くのだ。この恍惚感が持続しているうちに。
そうして私はパソコンの電源を入れてキーボードを叩き始めた。
途中でちょっと髪を書き上げて、再びキーボードに手を戻したとき、すこし脂っこいような感覚があった。
それで先に風呂に入ってから書くことにしたのである。
脱衣所の鏡で短くなった自分の髪の毛を見ながら私はこう言った。
「さてと、まずこのワックス落として……」
私は賢者タイムの状態で、仕方なく以上のつまらない文章を書いた。
王様の女
かみさんが大掃除をしていたら、こんな包装袋が出てきたという。
思い出のモノとか、わりと平気で捨ててしまう私だが、じっと見つめてどうしようか考えていたら、なんとなく「ときめく!」と感じたので、とっておくことにした。
これは10年ぐらい前、私が赴任していたとある地方でチェーン展開していた店の包装袋である。車を運転していると、ときどきこの店の大きな看板を見かけることがあり、当初は、いったい何を売っている店なのだろうと疑問に思っていた。
そうそう、この看板である。
その店は、「王様の女」という名前だった。
続々々・教授の真夏
「ど、どちらさまですか?」と書いたところで、わたしはほとほといやになっていた。いったい誰が読み続けてくれてるだろう。こんなもの、わたしだって読み返さないかもしれない。だが、そもそも読者など気にせずに自由に書きたいという望みから始めたことではなかったのか。それならば、誰が読もうが読まぬが、関係のないことではないのか。
どちらにせよ、乗ってしまった船から降りることはもはや不可能だった。読者からは自由になったのかもしれぬが、こんどは自分の文章そのものに束縛されてしまい、わたしは意に反していやいや書き続けるはめに陥っているのであった。
二人の男は刑事だった。坊主頭のオヤジが捜査一課の、ノッポの若造が所轄署の刑事だと名乗った。
続々・教授の真夏
あたりが暗くなり静けさが闇を包むころ、スポットライトを浴びて壇上にひとりのギタリストが浮かび上がった。ジェームス・タイラーから繰り出される適度にディトーションの効いたのびやかな音が、「さくら」のメロディを奏でた。
「鳥山さん……」
稔は大きな口を開けたままスクリーンを見つめていた。
二十年以上前になるが、稔は鳥山の指導を受けたことがあった。まだ学生でプロの音楽家を目指していたときのことである。当時、すでに新進気鋭の若手ギタリストとして注目を集めていた鳥山の前で、稔は自分のバンドを率いて渾身の力を出し切った。演奏し終わるとすぐに鳥山を見つめて評価を待った。だが、いつまで待っても鳥山は無表情のまま黙っていた。沈黙の時間に耐えられなくなった稔は、ついに自分から口を開いた。
「あの、どこが悪かったでしょうか……」
すると鳥山はおもむろに、「格好だね」と言った。
「はあ?」
「格好だよ。まず、そのボロボロのジーンズがいけない。どんなに良い演奏をしたって、見た目が悪けりゃ聞いてくれないよ。たとえばさ、ほら、見て、僕の」
呆然とする稔たちに向かって、鳥山は自分の赤シャツの襟や黒い革ズボンの裾を引っ張りながら続けた。
「このシャツとかさ、このパンツ、これってユキヒロさんのブティックで買ったのね。知ってる? ブリックス」
続・教授の真夏
稔(みのる)は、7月24日分のブログ更新について悩んでいた。といっても稔自身のブログではない。世界的に高名だとかいう大学教授のブログを、稔はアルバイトで代筆しているのだった。ただし、教授と名乗るその人物とは一度も会ったことがないし、その人物の本名も知らない。そもそも、その人物が本当に世界的に高名なのか、はたまた本当に大学教授なのかさえ疑わしかった。だが、そんなことは稔にはどうでもよかった。月に数回送られてくるいい加減な原稿を、適当に肉付けしてアップロードする、それだけで相当の金額が銀行口座に振り込まれるので、なにも不満はなかった。
教授の原稿にはいつも、自分のブログが他人の代筆であることを隠したいという意図が見え隠れしていた。7月24日分の原稿にも、ブログはあらかじめ書き溜めてあり、自動的にアップロードされるようプログラミングしてある、というようなことが書いてあった。自分がコンピュータに精通しているように見せかけたいのかもしれない。稔にはそれが教授のちっぽけな見栄のように思えて可笑しかった。大物感を漂わせたかったら、コンピュータ通であることを匂わせるよりも、人を雇って書かせていることを知らせてしまったほうが、よっぽど効果的なのにな、と思った。
悩んでいたのは、教授から送られてきた7月24日分の原稿がとても中途半端な内容で、肝心のことが書いていないうえに、突然尻切れトンボで終わっていたからである。これまでの連載内容から考えて、神戸で観た映画の感想が中心となるはずであったが、その原稿はなぜか神戸空港から三宮に向かったところで途切れていた。念のため何日か待ったのだが、それ以降教授からの連絡はすっかり途絶え、音信不通となってしまった。
教授、真夏の方程式で号泣す その5神戸編
鞄ひとつだけを持って神戸空港に到着した教授は、タクシーに乗った。関西には空港が多すぎるという意見もあるが、結果的に利便性の高い空港が増えるのは、利用者からすれば喜ばしいことだ、と教授は思った。三宮までは時間にしておよそ15分、おそらく3000円以内で着くはずだ。
教授はタクシーの後部座席から何度か後ろを振り向いた。追っ手はいないようだった。吉田が手荷物を探しているあいだに、こっちは手荷物をあきらめて急いで出てきたのだ。きっとうまくまいたはずだ。
教授はノートパソコンを立ちあげて、これまでの顛末を記録したファイルに吉田と遭遇したことを付け加えた。そしてサーバーにアップロードし、数週間経てば自動的にブログが更新されるようセットアップした。自分に何かが起こったときのためだ。
教授、真夏の方程式で号泣す その4再び機内編
教授は羽田空港発千歳空港行きの飛行機の中にいた。けっきょく、大宮で映画「真夏の方程式」を観ることはなかった。滞在中に原作を読み終えることができなかったからである。
飛行機が離陸したあと、教授は鞄から真夏の方程式の文庫本を取り出した。表紙を見ると、「悲しい話なんでね……」という山郎の声が蘇ってきた。本を開く前に教授は、山郎と他に何を話したのだったか思い出そうとしていた。
*
「最近、ブログのアクセスが減っているんですよ」と山郎は寂しそうに言った。教授は山郎のブログを高く評価していた。というか、ブログといえばほとんど山郎のブログしか見ていなかった。自分の生まれる前から現在までのあれだけ膨大な数の音楽を聴き、その批評を書ける人物を、教授は他に知らなかった。もちろん、内容が伴えばアクセスが増えるというわけではないことを、教授はよく理解していた。逆にその内容が高度になればなるほど、読者は選ばれてその数が減少していくほうが自然なのである。
教授、真夏の方程式で号泣す その3大宮編
エージェントとの約束までにはまだ時間があった。時間があるといっても映画を一本観ることができるほどではないし、そもそも原作の読了がまだであった。教授は駅の西口からすぐ見えるアルシェに向かった。このビルの5Fに、今回の特殊任務と関係の深い組織であるHMVの事務所があるからである。この事務所は先月移転したばかりで、その前はロフトにあったと聞いている。ロフトの事務所を閉鎖する際には、我らがリーダーも駆けつけて「移転するってYO!」と叫ぶなどして現場の士気を高めたと伝えられている。
アルシェに入ると、うわさどおりそこには我らがリーダーを中心とした幹部五人組の大きな写真が飾られ、本人たちのものと思われるサインと、おそらく下々の者に向けたと思われるメッセージが記されていた。
「私たちは埼玉推しです!」
それは公然の秘密ともいえるメッセージであり、誰もがうすうす気づいていたこととはいえ、これほど堂々と掲げられているのを見ると、埼玉県民以外の目に触れる可能性を全く考えていないのは油断といえるのではないだろうか、と教授は少し首をかしげた。視線を少し横にずらすと、今日が特別な日であることを伝える真っ赤なポスターが壁一面に貼られていた。
教授、真夏の方程式で号泣す その2機内編
教授は恐る恐る千歳空港の待合ロビー内に入った。そういえば昨年の松江行き、一昨年の松山行きの飛行機でも、かつて所属していた組織で見たことのある顔が同乗しており、危機感を募らせた。これ以上日本に潜伏するのも限界かもしれないとまで思ったほどである。地方都市行きの飛行機は便数が限られており、敵と同乗するはめになる確率が高くなる。できれば地方都市での特殊任務は避けたい、と教授は思った。
それに比べて羽田便は複数の航空会社が就航しており、便数も多くて安全だ。搭乗口付近まで慎重に歩を進めたが、ナターシャの姿はもう見かけなかった。どうやら別の便らしく、教授は再び遭遇する可能性は低いと考えて一安心した。
教授の手には「真夏の方程式」の文庫本があった。720円、これも必要経費で落ちるだろうか。報告書にただ「書籍」とだけ書けば、事務の目をごまかすことは容易だろう、というケチな考えが頭に浮かんだ。教授の活動資金はそろそろ底をつき始めていたのである。
椅子に腰掛けた教授は鞄の中からもう一冊の文庫本を取り出した。読みかけのレイモンド・チャンドラー「大いなる眠り」である。村上春樹の新訳が出て久しいが、教授が手にしているのは59年初版の双葉訳のほうであった。せっかくの読みかけだからまずこちらを片づけしまおうと思って、教授は「大いなる眠り」を先に読みだした。
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