2018/12/30

墓銘録2018その9 佐山雅弘・前田憲男

2018.11.14 佐山雅弘

佐山雅弘

大学生のときバンドのプリズム好きなギタリストから「もっと佐山さんみたいに弾いてくれないかな」と言われた。そのとき僕は佐藤允彦と勘違いしたぐらい、佐山さんのことをよく知らなかった。今ならそう言われてさっそく動画サイトや音楽配信サイトで調べるんだけど、当時はそうもいかないでしょ、それだけのためにプリズムのアルバムやSBATOTTOを買う財力はなかったし、マイナーすぎてレンタルレコード店にはなかった。ということで、動画サイトや音楽配信サイトの時代になった今、やっといろいろ聴くことができたんだけど、なんというか、若い頃の瑞々しく感性の溢れ出す演奏(彼が言ってたのはこういう演奏のことだったのだな)、近年の人柄の滲み出るライブ演奏の数々、そしてなんといっても、佐山氏自身の筆による最後のお別れの言葉、特に「楽しさこの上ない人生を送ってしまいました」が素晴らしすぎて(参照:ジャズピアニスト佐山雅弘オフィシャルページ)、なんだかとても幸せな気分になりました。やっぱり、あのときすぐに佐山さんのことを調べてはまっておくべきだったなあ。

2018.11.25 前田憲男

前田憲男

ジャズ・ピアノ6連弾の出演者のうち、佐山さんが病気で出られなくなり息子さんが代役をやることになったが、前田氏も病気で出られなくなり、結局6連弾が5連弾となってしまった。そして佐山さんを追うように、前田氏もこの世を去った。

前田氏は僕が子どもの頃から名前を知っていたぐらいだから、きっと大物なんだろうということはわかっていた。印象としては、すごく髪が多くて、大橋巨泉と仲の良い、ときどき11pmに出てくる大物っぽい人、といったところだ。個人的にはクイズ「ヒントでピント」の電子音楽的なテーマ曲がとても印象に残っている。ジャズピアニストのおっさんだと思ってたのに、実は大型モジュラーを個人で持ってて、こんな電子音楽作っちゃうんですよ、なんか、やっぱ只者ではないなって感じがするよね。

以上、今年も無事に終了です。今年は他にも、クレイグ・マクレガー(2/9)、アヴィーチー(4/20)、森田童子(4/24)などがノミネートされましたが、特に理由もなく選外となりました。すいません。

来年どれだけブログを書くか、いまのところ全くの未定ですが、とりあえず皆さん、よいお年を!


2018/12/28

墓銘録2018その8 フランシス・レイ

2018.11.07 フランシス・レイ

フランシス・レイ

フランス映画の音楽といえばフランシス・レイの名前が思い浮かび、「男と女」も「白い恋人たち」も「ある愛の詩」も自然にメロディを口ずさむことができる。考えたらこれってすごいことだよなあ。なんでだろう。映画自体はまともに見たこと無いのに。思い当たるのは、僕らの年代が小中学生のときと、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーヴル、カラベリなどといったイージーリスニングの全盛期が重なるということだ。校内放送でもしきりにかかっていた。これらのオーケストラはフランシス・レイの作品を取り上げることも多かった。したがって、僕の記憶に残っているフランシス・レイのメロディは、きっとオリジナルではなくてこれらのイージーリスニング・オーケストラの演奏によるものなのだろうという結論に至った。

校内放送でかかりやすかったのは、歌詞がなくて当たり障りがないからなのだろう。僕は中学校で放送委員になったとき、そういう風習に反抗したくて、まず放送室のターンテーブルの上に置かれたままになっている擦り切れそうなポール・モーリアのアルバムを外した。そしてカーペンターズとかモンキーズみたいな英語なので何を歌っているのかわからないそれでいてわりとソフトな曲調のものからかけ始め、だんだんと慣らしていったところで昼休みにユーミンを流したら、中学生にふさわしい音楽とは言えませんって職員室からクレームが来た。うーん、それを言ったら「男と女」や「ある愛の詩」はどうなんだって思ったけど。

以上、適当な文章でお茶を濁したけど、ミシェル・ルグランのときにコピペして使うかもしれません。

さあ、もうちょっとで完了です!


2018/12/28

墓銘録2018その7 シャルル・アズナブール

2018.10.01 シャルル・アズナヴール

シャルル・アズナヴール

父親がシャンソンのレコード・コレクターだったので、小学生の頃に試しに聞かせてもらったことがあるのですが、ほとんど理解できませんでした。

今でも覚えているのは「メケメケ( Méqué méqué)」一曲だけです。これはまあ聞けると言ったら、父親はうれしそうな顔をして二枚のシングルレコードを並べました。一枚は作曲者が歌うメケメケ、もう一枚は作詞者が歌うメケメケです。

今ではいろんなカヴァー曲やバージョン違いの曲を聴き比べるのが楽しみのひとつである私ですが、その原点はこの時だったのかもしれません。

この時の記憶として私の頭に残っているのは以下の二点です。

  1. 圧倒的に作曲者の歌うバージョンの方が良い!
  2. シャルル・アズナヴールといういかにもフランス的で素敵な名前

この二つの記憶がいつのまにか頭の中で編集され、私はこの半世紀近く「メケメケは作曲者であるシャルル・アズナヴールが歌うバージョンに限る」と思い込んでいたのです! シャルル・アズナヴールの訃報をきっかけに、これが大きな間違いであったことに気づきました。

  1. シャルル・アズナヴールは作曲者ではなく作詞者
  2. 作曲者はジルベール・ベコー
  3. 今聞いてみるとどちらか良いとか優劣つけられない

よろしければ皆さんもどちらが好きか聴き比べてみてください。

  1. Charles Aznavour - "Me que me que"
  2. Gilbert Bécaud - ME QUE, ME QUE

ジルベール・ベコーの名前は知っていましたが、メケメケの作曲者であることはすっかり失念していました。さて、皆さんはどちらが良いですか? 圧倒的な差がありましたでしょうか? ないですよね?

というわけで、以下のような結論に達しました。

  1. 50年前の私が圧倒的に良いと感じたのはどちらなのか?
  2. どうやらそれは永遠の謎になりそう

私の単に個人的な記憶をさかのぼる旅に付き合わせてしまって申し訳ありませんでした。


2018/12/27

墓銘録2018その6 アレサ・フランクリン

2018.08.10 菅井きん

菅井きん

2018.08.16 アレサ・フランクリン

アレサ・フランクリン

アレサ・フランクリンを知ったのは80年代に復活してからだった。たぶん私が洋楽を聞き始めた頃はちょうどスランプの時期にあたり、それで知らなかったのだろうと思う。だから私の彼女に対する印象は、堂々とした体格で朗々と歌い上げる、ショートヘアーの黒人女性歌手ということになる。

しかし、ネットで検索してみると、アレサのこれまでのヘアスタイルは実に多種多様である(参考:Aretha Franklin: The Vocal Evolution (1956-2017))。これは、黒人女性におけるヘアスタイルの歴史を反映しているともいえる。初期は白人文化に合わせたストレートヘアが主流だったのが、60年代の黒人解放運動によって抵抗の象徴としてのアフロヘアーが生まれる。やがてアフロは政治的な意味を失い70年代にはファッション化していく。また、アフリカ文化への回帰の象徴だったコーンロウもその意味を失い、ファッションとして流行していく。簡単にいえばこんな感じで黒人女性のヘアスタイルは多様化していったのだろう。

こうしていろいろ見ているうちに、最初に思い浮かべたショートヘアーがアレサのシンボリックなヘアスタイルかと問われると自信がなくなってきて、結局、68年「Chain Of Fools」のジャケット写真を参考にすることにした。なんとなく墓銘録2018その1 フランス・ギャルと対比させたくなったというのもある。うまくいえないが、彼女にはダイアナ・ロスやディオンヌ・ワーウィックよりもずっとソウル的というかゴスペル的なものを感じる。しかし、のちに黒人や女性たちの公民権運動・フェミニスト運動の象徴となっていく彼女でさえ、スターへの道を歩み出すその背後には、キャロル・キングやバカラックといった白人文化の巨人たちがいたのである。


2018/12/27

墓銘録2018その5 アラン・ロングミュアー

2018.07.02 アラン・ロングミュアー

アラン・ロングミュアー

小学校時代に私と一番を争ったケンちゃんは一見するとメガネをかけたガリ勉タイプだったが、意外にも私よりずっと先に洋楽にはまっていた。私もカーペンターズに夢中となりこれでやっと追いついたと思ったのだが、そのとたんにケンちゃんはカーペンターズなんかもう二度と聞かないわと言ったのでショックを受けた。どうやら、「緑の地平線」からシングルカットされた「オンリー・イエスタデイ」までは良かったが、次のシングルカットの「ソリテアー」がずいぶんお気に召さなかったらしい。

このときのケンちゃんのお気に入りはジョージ・ハリスンの「ディン・ドン」とかクイーンの「キラー・クイーン」とかであり、もうポップスは卒業してすでにロック少年への道を歩み始めていたのである。そのケンちゃんが見つけた期待のブライテストホープがベイ・シティ・ローラーズだった。「バイ・バイ・ベイビー」は名曲だと言って自慢げにそのシングルレコードを見せびらかせてくれた(実はバイ・バイ・ベイビーはフォーシーズンズのカヴァーであり元々名曲だったことを知ったのはそれからずっと後の大人になってからのことである)。

その後私たちは別々の中学へ進み交流は途絶える。私は都会に出て様々なロック少年たちと出会い、人並みにツェッペリンやパープルにはまり、ベイ・シティ・ローラーズってロックじゃなかったんだ、と思うようになる。テレビの洋楽番組で、メンバーが女の子に引っ張られて舞台から落ちてるのに演奏が止まないことから、こいつら自分で演奏してなかったんだと思いこむ(海外のテレビでは口パクが当たり前と知ったのはつい最近のことだ)。

大学生になると、ケンちゃんは学生バンドを結成して活躍しており、そこそこ有名なんだと風の便りで知る。あれからケンちゃんがどんな音楽に出会い、どんな音楽をやってるのかはわからない。まさか今でもベイ・シティ・ローラーズってわきゃないわな、とは思ったりした。

さて、普通のオッサンになってみると、一周回ってベイ・シティ・ローラーズもあれはあれで良質のポップスだったのだなーと思える。ケンちゃんはどう思ってるんだろう。フェイスブックで探してみたら簡単にケンちゃんを見つけることができた。便利で恐ろしい世の中になったものだ。あのケンちゃんも仕事が終わった後のビールが楽しみな普通のオッサンになっていた(私はのまないが)。そしてアラン・ロングミュアーの訃報に接して、ベイ・シティ・ローラーズの写真をあげていた。やっぱりケンちゃんも懐かしく思ったのだろう。一周回ったのかどうかはよくわからんが、たぶん私と同じで回ったのだろうな。

ところで皆さん、アラン・ロングミュアーってどの人だか覚えてましたか。私はロングミュアーと聞いて、てっきりドラムの顎骨がすごい人の方だと思ってました。なんか、一番ハンサムともいえるし、一番地味ともいえる顔ですよね。ちょっと思い出すのに時間がかかってしまいました。

その後ケンちゃんにはフェイスブックで友達申請してみましたが、ナシのつぶてです。まあ無理もありません。私、名前も顔もロシア人みたいになっちゃってるからなあ。まさか小学校の同級生だなんて思いもしないでしょうね。そこでメッセージで「れいろうのみず・のはひろく」って小学校の校歌の歌詞を送ってみたのですが、やはりダメなようです。きっと怪しい宣伝か詐欺かなんかだと思われてるんでしょうね。


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